南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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南京への道程――武力侵攻の実態(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/08 15:51 投稿番号: [37604 / 41162]
1937年12月1日、中支那方面軍に対し、大本営は戦闘序列を
発令し、そのうえで   「中支那方面軍ハ海軍ト協同シテ   敵国首都
南京ヲ   攻略スベシ」   という大陸命を   くだした。
念のため解説すると、戦闘序列とは、戦時に令する軍の編成のこと、
大陸命とは、大本営陸軍部を通じて発する天皇の命令を意味する。

すでに、半年も前に起きた   蘆溝橋での武力衝突を   発端として
両国の軍隊が   全面戦争に   突入していた   にもかかわらず、
この大陸命で   大本営は、はじめて   中国を   「敵国」   と呼び、
首都南京への武力侵略を   正式に   命令したのだ。
日本は、国際社会からの   大儀なき武力侵略に対する   批判を恐れ、
あくまでも「事変」   の鎮圧として、片付けようとしていたからだ。

もともと補給を軽視する日本軍の体質的欠点にくわえ、戦争方針が
数カ月程度の戦闘で中国軍は屈服させる   という甘い見通しのもと、
長期戦争の備えがないまま   中国に大軍を派兵したことが、のちに
深刻な食糧不足に伴う略奪行為多発や捕虜の大量殺戮につながった。

南京の攻略は、参謀本部が   初めから   予定していたわけではない。
第十軍を   杭州湾に上陸させたのは、予想外に厳しい上海の戦況を
打開するためであり、南京へ進撃するためではなかった。
中支那方面軍の編成も変則的で、司令部の機構も小さなものだった。
参謀長は   参謀本部第三部長   塚田攻少将、参謀副長は   参謀本部
第三課長   武藤章大佐、以下の参謀数名も   参謀本部の職員であり、
本部に在籍したまま   「出張」の形式で   派遣された。

その他の司令部の人員の多くは、上海派遣軍司令部の人員が兼務し、
さらに   方面軍には、直属の兵站部隊が   まったく   無かった。
こうした   異例の編成は、上海から遠くへ侵攻するつもりがなく、
後方が局限されていたからであり、このために、中支那方面軍の
南京侵攻作戦には、次のような   問題点が生じた。

第一に、後方補給の準備が   まったく   欠けていたため、
南京へ殺到した   各部隊の給養は   ことごとく   徴発に依存し、
これが   略奪暴行多発の   原因になった。
第二に、方面軍司令部には   外交や渉外の   機能がなく、
国際法の顧問も   従来の戦争のように   置いていなかった。  

各国の公館が集中している首都に攻め込むのに、これは   きわめて
不十分な編成で、しかも   南京の公使館、上海の総領事館など
日本の外務省の機関との   連携も   悪かった。   それどころか、
軍は   外交官を   邪魔もの扱いにし、暴行を   制止しようとした
外交官が、身の危険を   感じるほどだった   と報告している。

第三に、軍紀風紀維持についての配慮が、きわめて   不十分だった。
方面軍には   もともと   直属の憲兵がなく、急遽配属された少数の
憲兵で   大軍の犯罪非行を取り締まるのは   ほぼ不可能に近かった。
第十軍に配属された   憲兵隊長の   上砂勝七も   「何分   数個師団
二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは如何とも
方法がない」   (『憲兵三十一年』東京ライフ社刊)と嘆いていた。  

このように、方面隊の編成そのものにも、大虐殺事件に   つながる
要因が   含まれていたと   言うことができる。

◆検証 南京大虐殺捏造の背景⑤

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/12/08 01:20 投稿番号: [37603 / 41162]
●「南京大虐殺」はなかった(当たり前であるが)

  今まで見てきたように、日本軍の進出は内戦の終結、平和の確立、共栄圏の建設を目的としたものであって、決して破壊や虐殺を目的としたものではありませんでした。これは、国土の焦土化や、民衆の殺戮を平気で行なっていた中国軍とは、きわめて対照的です。
  日本には、もともとサムライの時代から、民衆の虐殺や焦土化の思想はなかったのです。日中戦争は北京の近くで始まりましたが、北京は無傷でした。武漢三鎮も無傷のまま。他の都市も全部無傷です。日本軍は、都市を破壊する気も、住民を虐殺する気もさらさらなかったのです。
  日本軍は、都市に近づくときには必ず自由都市(オープン・シティ)宣言をしました。降伏するなら、都市を破壊することもしないし、住民の安全を保証するということです。歴史ある都市を戦場にし破壊していけないからです。
  日本軍は圧倒的に強かったので、たいていの都市では、中国軍はたいした抵抗をすることもないまま逃げ去り、都市は明け渡されました。しかし南京で、中国軍は珍しく若干の抵抗をみせました。
  南京防衛軍司令官の唐生智が「俺に頑張らせてくれ」と言ったので、蒋介石も「頑張れ」と言ったのです。彼が最後まで頑張れば、ある程度、中国軍の統制もとれたでしょうが、この司令官は情けないことに、途中で逃げ出してしまいました。
  司令官を失なった中国兵たちは、自分たちも逃げようとしました。けれども彼らの多くは、逃げる味方の兵隊を後ろから撃つ「督戦隊」に殺されました。また中国兵の中には、逃げれば督戦隊に殺されるし、残れば日本軍に捕まるということで、民間人を殺し、その着物をはぎ取って着る者たちもいました。
  こうした民間人に化けた中国兵は、それがばれたときに日本兵によって殺されることもありました。そのようなことはありましたが、南京で、日本軍による住民の大量虐殺というようなことは決してなかったのです。


中国は、かつて日本軍は南京で三〇万人の住民を虐殺したと、宣伝しています。しかし、これは中国共産党が流したでっち上げです。なぜなら、もし南京大虐殺があったなら、南京の安全地区にいた外国人は必ず、そのことを世界に発信したはずです。けれどもそのようなことはありませんでした。
  また、日本が南京に入る前にいた南京の人口は約二〇万人でした。これはいろいろな調査で一致している数字です。二〇万人の都市で、三〇万人を虐殺するのは不可能です。
  また、日本が南京を占領したあと、逃げていた市民たちが戻ってきて、一ヶ月後には人口二五万人になっています。これは南京学会が緻密に調査して出した、信頼できる数字です。また大虐殺が行なわれた都市に、住民が戻ってくるわけがありません。
  また南京大虐殺の「証拠写真」と言われるものも、今日ではすべて全く関係のない写真か、捏造によるものであることが、明らかになっています。東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』などに、詳しく書かれています。
  何年か前、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、英語で『ザ・レイプ・オブ・南京』という本を出し、アメリカでハードカバーで約五〇万部も売りました。これは日本軍が南京で三〇万人虐殺という蛮行を行なったと宣伝する本で、アメリカ人にウソをばらまいたものです。
  しかしそののち、彼女が書いたことや、そこに使った写真があまりにインチキであることが、多くの批判書によって明らかになりました。そうした中、彼女は二〇〇四年の暮れに、ピストル自殺しています。
  その理由として、『ロンドン・エコノミスト』はその記事の中で、彼女は自分が書いたことがあまりにインチキと批判されたため、それが「南京虐殺はなかった」と主張している人たちに有利に働いて、それを気に病んだのではないだろうかと推定しています。

   
                以上『日中戦争の真実』より引用

◆検証 南京大虐殺捏造の背景④

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/12/08 01:15 投稿番号: [37602 / 41162]
共栄圏をつくろうとした日本

  一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一九四〇年には、すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。
  日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日中の戦闘は一年半あまりで終結し、あとは日本軍はそれ以上領地を広げようとせず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。
  その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差がありました。鉄道もつくられ、人々や物資の移動が容易になりました。よく「日本軍は一方的に略奪と破壊をした」かのように語られることがありますが、実際は全く逆だったのです。
  だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中国人は日本を支持し、日本と共同して、その地域の発展のために働いたのでした。
  汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。その象徴が上海です。日中戦争中ですら、そのダンスホールや映画館はどこも満員という活況を呈していました。
  ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に設けられ、彼らはそこで安全に暮らしていました。
  一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
  もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施し、中国兵の乱れた規律を正そうと努力はしましたが、それでもなかなか実を結ぶことはできませんでした。
  日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、重慶にいる蒋介石軍に様々な物資を送り届けていたことは、よく知られています。兵器、弾薬、医薬品、食糧などですが、しかし山を越え、川を越えているうちに、重慶まで届いた物資は多くても当初の何分の一かに減っていました。
  それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料として一部物資を渡していたからです。当時、日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約二〇〇〇万人もいたといいます。それは中国軍の約一〇倍に相当します。彼らは略奪で生計をたてていたのです。
  また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入ってしまい、他の者には行き渡りませんでした。このように当時の蒋介石の政府が、米国の支援を食い物にしていたことは有名です。
  このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国民衆の生活に格段の差があったのです。日本はすでに日中戦争のさなかから、中国を近代的民主国家として自立させ、アジアの同胞として共に相携えて共栄圏をつくるために、非常な努力を積んでいたからです。
  しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたことにより、挫折しました。
  そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなどを破壊することなく、すべて正確な資産リストを添えて、中国の未来のためにそのまま置いてきました。それらは戦後の中国経済の発展の基礎となったものです。
  日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国民党軍と共産軍の内戦が勃発しました。これは実質的に、日本が残した遺産の奪い合いでした。そしてこの内戦での死者は、日中戦争中の死者よりも多かったのです。
  またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、共産党はかつて自分たちがなした中国民衆への殺戮、略奪、搾取などを、すべて日本軍の悪行と宣伝して若者たちに教える教育を始めました。
  以前、私がこれら中国の歴史を「レムナント誌」に掲載したとき、ある日本人は「こんなことがあったなんて知りませんでした。一般に世間で言われていることと何と違うでしょう」と言いました。しかし、日本に留学しているある中国人クリスチャンが手紙をくれたのですが、こう書いていました。
  「先生は中国に関し真実を書いています。がんばってください」
  中国人も、知っている人は知っているのです。

◆検証 南京大虐殺捏造の背景③

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/12/08 01:15 投稿番号: [37601 / 41162]
もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
  日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
  ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三七年、一〇月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ一一世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。法王は、
  「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
  といった内容の声明を出しています。

この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。新聞は、
  「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」
  と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
  けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。

◆検証 南京大虐殺捏造の背景②

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/12/08 01:14 投稿番号: [37600 / 41162]
本当の人民解放軍は日本軍だった

また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。
  中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました。
  つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです。
  それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなっていました。とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
  一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、中国経済の再建に取り組んだのです。日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約四〇%、また耕地面積の五四%に及びましたが、日本はすぐにその地域での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
  日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
  本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
  日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。
  それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。

農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の対中国投資によるものです。
  日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
  日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年までの日本の対中国投資の累計は、約四七億円にも達していました。当時の日本の国家予算は約二〇億円ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
  これは戦争に使ったお金ではありません。中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。このように、中国軍が各地を焦土化し、同胞を虫けらのように殺していたときに、日本は中国民衆の救済と、中国の近代化のために働き続けていました。
  中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。
  ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、親日的な人々が大勢います。ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくるとき、多くの日本人が帰りそこなって、そこに取り残されました(いわゆる中国残留孤児)。しかしそのとき、残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに残虐非道であったかよく知っています。

◆検証 南京大虐殺捏造の背景①

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/12/08 01:11 投稿番号: [37599 / 41162]
中国民衆を虫けらのように殺した中国軍

中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大量殺害したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
  中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん   殺戮される民)と呼んでいます。
  たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、一九三八年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。このとき、大雨が降ったこともあって一一の都市と、四千の村が水没し、水死者一〇〇万人、その他の被害者六〇〇万人という大惨事となりました。
  しかも、それだけでは終わりませんでした。この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
  「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた」
  と報じています。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
  この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
  堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
  こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。いや、共産軍はもっとひどいものでした。共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
  中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。
  ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
  日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると中国軍が撤退し敗走する、という形で進みました。ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝するほど日本軍に殺された中国兵の死者は多くはありませんでした。
  むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したものでした。中国の軍隊というのは、兵士たちの後ろに「督戦隊」(とくせんたい)がいたのです。督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを戦わせ、逃げる兵士がいると、その兵士を撃ち殺す中国兵です。
  つまり中国兵が中国兵を殺したのです。中国史家・黄文雄氏によれば、日中戦争時の死傷者は、日本軍によって殺された中国兵よりも、そうやって督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだといいます。
  また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していました。それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。
  日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。

Re: 成りすましoldjiijiの三文芝居

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/07 16:30 投稿番号: [37598 / 41162]
わしがいくらシナが嫌いで不適切な想像をしたとしてもそれはわしの心の問題であり、ご貴殿にとやかく言われる筋合いはありませんな。

わしの文章が気に入らんようだが、こういうところに書くときはなるべく読みやすいように心がけておるだけのこと、あんまり気になさるな。

成りすましoldjiijiの三文芝居

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/07 13:25 投稿番号: [37597 / 41162]
どこが、戦前教育を受けた者の文章だ。(笑)

<oldjiiji>
わしが子供の頃は、シナ人のことをチャンコロと呼んで虫けらのように思っとった。

日本兵がシナ人を殺すことが正しいと思わされとった時代もあったということです。

それがいまや、日中が戦略的互恵関係とは隔世の感がありますな。


馬鹿を申すな、わしは戦前の教育を受けとる。

わしはなによりもチャンコロつまりシナ人が嫌いでな。

わしが731部隊の隊員なら、率先して細菌をばらまいたかもしれん。

しかしNHKで証言されたお方は立派ですな。

わしなら墓場まで黙っておるだろう。


馬鹿なことを申すな。

元日本兵の方を中国の裁判にかけるなど言語道断。

中国では日本人旅行者の覚せい剤の所持でさえ死刑になりますぞ。

わしは反対する。


わしは、731部隊にはいってシナで細菌をばらまきたいと思っておった自分が恥ずかしい。

野田総理中国訪問延期

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/07 13:15 投稿番号: [37596 / 41162]
. 野田首相:訪中延期へ…中国側から打診   反日感情考慮か

日中両政府は12、13両日で調整していた野田佳彦首相の就任後初の中国訪問を延期する方針を決めた。中国側が6日、日本政府側に「内政上の都合」(外務省幹部)による延期を打診し、日本側が受け入れた。両国政府は年内の訪中実現に向け、日程を再協議する。

政府関係者によると、中国政府が6日午後、丹羽宇一郎駐中国大使を呼び、延期を要請した。中国側は代わりに年末の日程を提示したが、28日前後に首相のインド訪問が予定されているため、さらに調整している。

延期要請の理由について日本政府内では「13日が旧日本軍の南京占領から74年にあたるので、インターネット上などで高まっている反日感情に中国側が配慮したため」との見方が出ている。

また、中国共産党と政府の最高指導部が出席して、経済運営方針を話しあう年に1度の「中央経済工作会議」が同時期に開催される方向となっていることが影響した可能性もある。

両国は毎年首脳の相互訪問を行っており今年は日本が訪れる番。【西田進一郎、横田愛】

毎日新聞   2011年12月6日   23時26分(最終更新   12月7日   0時56分)

Re: 戦後もしっかりご活躍の731部隊関係

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/07 12:10 投稿番号: [37595 / 41162]
>書いていて恥ずかしくない?

わしは、731部隊にはいってシナで細菌をばらまきたいと思っておった自分が恥ずかしい。

Re: 南京虐殺事件否定論の譎詐と限界(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/07 07:53 投稿番号: [37594 / 41162]
物理的にも不可能、兵力的にも不可能、兵器的にも不可能、人的にも不可能、屍体処理に関しても不可能。

南京虐殺事件否定論の譎詐と限界(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/07 06:50 投稿番号: [37593 / 41162]
犠牲者数の確定は困難であるものの、殺人や掠奪、強姦など
残虐行為が発生した事実は、軍や国際機関の   関係者などの
さまざまな   記録、証言によって   覆すことはできない。
このため、南京虐殺否定派は、苦し紛れに   根拠に乏しい
珍論・奇論の類を   持ち出してくることも   少なくない。

たとえば、「南京虐殺は、日本軍の仕業にみせかけるために
中国軍の反日攪乱工作隊がやったこと」などもその一つだ。
南京市内に潜伏した   中国軍の兵士が   いたのは   確かだが、
身を守るために   用心深く   潜伏していることが重要であり、
攪乱するなどという   状況になかったことは、明白だ。

南京を退却する時の中国軍が   脱出・避難のために   必要な
物資を略奪したり、不法行為を働いた可能性は否定できない。
しかし、問題視されるのは、中国軍が退却した後、日本軍が
占領した後に発生した事件であり、それは   中国軍の行為を
はるかに凌ぐ規模の蛮行にこそ   問題があるのだ。
N・Yタイムズのダーディン記者は、以下のように報告する。

「南京に   中国軍最後の崩壊が訪れた時、人々の間の安堵の
気持ちは非常に大きく、また   南京市政府及び防衛司令部が
瓦解した時の印象はよくなかったので、人々は喜んで日本軍を
迎えようとしていた。   しかし、日本軍の蛮行がはじまると、
この安堵と歓迎の気持ちはたちまち恐怖へと変わっていった。
日本への憎しみを   いっそう深く   人々の心に植え付けた」
(1938年1月9日付「ニューヨークタイムズ」)

南京市は   12月13日以降、日本軍に制圧され、7万人もの
日本兵が   警備に当たっていた下で、反日攪乱工作なるものが
どのように展開されたのか、はなはだ疑問と言わざるをえない。
もしも   南京市民が「反日感情を扇動」   されたと仮定しても、
武器を持たない市民が   軍事的に反抗することは   不可能だ。

百歩譲って、もしも、中国軍の便衣兵が   ゲリラ戦を企図して
潜伏していたと   仮定すれば、当然   日本軍に摘発される際に
武器をもって   抵抗しないということは   あり得ないし、
散発的な武器による抵抗が   あったならば、その記録が
日本軍側に   まったく   残らないはずはない。

否定派が   苦しまぎれに   吹聴する珍説は、他にもある。
「中国兵の捕虜は指揮官の命令なしに降伏したのだから
捕虜の特権がなく、処刑しても違法ではない」   という
主張や、中国軍の死者の大半が「同士打ち」によるもの
などという証拠資料も示せない主張などは   その典型だ。
国際社会共通の歴史認識とは   大きく   かけ離れた議論を
大真面目に繰り返す者たちのレベルは、この程度なのだ。

南京虐殺事件否定論の譎詐と限界(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/07 06:49 投稿番号: [37592 / 41162]
南京市に残留した中国軍の敗残兵は、捕虜要件に該当しない
便衣兵であり、日本軍に   抗戦するものであるから、処刑は
妥当であった   という主張がある。   しかし、すくなくとも
安全区内においては、敗残兵が不法なゲリラ活動をしていた
ということを証明できる史料は、いまだに   確認できない。

南京陥落後に   「便衣兵」   によって   日本軍は、はたして
どれほどの損傷を   受けたというのだろうか。
そもそも   「便衣兵」とする根拠は   どこにあるだろうか。
当時の   新聞の報道を   以下に   引用してみよう。

「なお潜伏二万五千   敗残兵狩り続く   外国権益を特別保護」
敗残兵にして便衣に着替えている市中に潜伏する者二万五千名
と推定されているので、我が軍は清掃に努力し、一方敗残兵の
嫌疑あるものは   取り調べ、老人婦女子に   保護を加えている」
(1937年12月16日付   東京朝日新聞)

この記事は、記者が   独自に取材したものではなく、当然
軍司令部の発表を   記事にしたものだ。ここには、「便衣兵」
という文字は出ていない。   潜伏した2万5千人については
敗残兵との表現であり、軍司令部の認識だったことが伺える。
次に外国の新聞報道も確認しておこう。以下に引用するのは、
N・Yタイムズ   1937年12月17日付の記事だ。

「昨日南京の日本軍司令部は、南京城内で   1万5000人
以上の捕虜を得たと発表した。市内には、このほか軍服を捨て、
武器を隠し、平服を着た兵士2万5000人がいると信じられ
ている」(「南京事件資料集・アメリカ関係資料編」青木書店)

これも   日本軍の発表を   記事にしたものだが、南京城内で
1万5000人以上の「捕虜を得た」   としているところに
注目すべきだ。   便衣兵は   捕虜資格がないのであるから、
軍司令部には、正規兵ないし敗残兵を捕まえた   という認識が
あったことになる。残りの2万5000人については、前掲の
東京朝日新聞の記事にある通り、敗残兵と認識していたのだ。

仮に、武器を捨てずに   日本軍に対し危害を与える目的で
市内に潜伏しているのであれば、たしかに   便衣兵であり、
非合法戦闘員として   殺害することは   違法ではない。
しかし、実際には   武器を捨て、ひたすら   自衛のために
身を隠していた敗残兵を   狩り出して殺害したにすぎない。
ジョン・ラーベの12月16日の日記には次の記述がある。

「たったいま聞いたところによると、武装解除した中国人
兵士がまた数百人、安全区から連れ出されたという。銃殺
されるのだ。   そのうち五十人は   安全区の警察官だった。
兵士を   安全区に入れたというかどで   処刑されるという」

安全区内で武装解除した兵士は、国際法上   保護の対象だ。
ましてや   警察官まで処刑したとすれば、明白な違法行為
であり、ゲリラの掃討だったなどとは、到底   言い難い。

南京虐殺事件否定論の譎詐と限界(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/07 06:48 投稿番号: [37591 / 41162]
南京大虐殺が国際的に知られるようになったのは、市内での
敗残兵の掃蕩が   外国人の眼に   触れたことによってだった。
否定派には、敗残兵が「便衣兵」であり、陸戦条約の要件を
満たさない   ゲリラの一種であるから、捕虜待遇を受ける
資格はないのだ   と主張するも   少なくない。

南京防衛軍司令官   唐生智は、12月12日夕刻   ひそかに
揚子江を渡って逃走した。   このため防衛軍は一挙に崩壊し、
脱出を図る者、武器を捨て投降する者、軍服を脱いで市内に
潜伏する者など、日本軍の入城前に   完全に四散してしまい、
組織的にはもちろん、各個の戦闘能力さえも   消失していた。

中国兵の大量処刑は、南京が陥落し   日本軍が制圧した後に
行われたものであり、戦闘行為と   見なすことは   できない。
すでに   抗戦の意図はなく、専ら逃亡目的で   平服を着用し
隠れていた兵士を   便衣兵と見なして   殺害したり、市民を
一方的に便衣兵と見なして殺害した行為は、明らかな虐殺だ。

南京陥落後に中国軍が   市内でゲリラ戦を展開した事実はない。
陥落直後の南京で、墜落した日本軍機搭乗員の遺体捜索活動に
従事した海軍将校   奥宮正武の記述を   以下に引用しておこう。

便衣兵或は便衣隊といわれていた中国人は、昭和7年の
上海事変の際はもとより、今回の   支那事変の初期にも
かなり積極的に日本軍と戦っていたが、南京陥落直後は
そうとは   いえなかった。   わたしの知る限り、彼らの
ほとんどは   戦意を完全に   失って、ただ生きるために
軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。   したがって彼らを
通常いわれているゲリラと同一視することは   適当とは
思わない。(「私のみた南京事件」PHP研究所1977年)

多くの記者が南京を脱出したが、市内に残った者も   数人いた。
N・YタイムズのF・ティルマン・ダーディンは   その一人だ。
彼の12月22日発航空便記事は、以下のように伝えていた。

   袋のねずみとなった中国兵の大多数は、戦う気力を失って
   いた。   何千という兵隊が、外国の安全区委員会に出頭し、
   武器を手渡した。委員会はその時、日本軍は捕虜を寛大に
   扱うだろうと思い、彼らの投降を受け入れる以外なかった。
   たくさんの中国軍の集団が   個々の外国人に   身を委ね、
   子供のように   庇護を求めた。
   (中略)
   南京を   掌握するにあたり、日本軍は、これまで続いた
   日中戦争の過程で犯された   いかなる虐殺より野蛮な虐殺、
   略奪、強姦に熱中した。抑制のきかない日本軍の残虐性に
   匹敵するものは、ヨーロッパの   暗黒時代の蛮行か、
   それとも   中世のアジアの征服者の残忍な行為しかない。

無力の中国軍部隊は、ほとんどが武装を解除し、投降する
ばかりになっていたにもかかわらず、計画的に逮捕され、
処刑された。安全区委員会にその身を委ね、難民センターに
身を寄せていた何千人かの兵隊は、組織的に選び出され、
後ろ手に縛られて、城門の外側の処刑場に   連行された。

南京虐殺事件否定論の譎詐と限界(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/07 06:47 投稿番号: [37590 / 41162]
捕虜殺害に機関銃が使用された場合、たとえば1時間以上も
連射し続けていれば、銃身が加熱して撃てなくなる、だから
何十万もの捕虜を殺害することは不可能だなどという主張を
大マジメに   臆面もなく吐き散らす可笑しな否定論者もいる。
何万もの捕虜を同じ場所で、一度に殺したわけではなく、
もちろん   同じ数丁の機関銃だけで   殺害したわけがない。

実際の   捕虜殺害に、さまざまな方法が採られていたことは
多数の資料で確認できるが、たとえば   そのひとつとして、
第十軍第百十四師団歩兵六十六聯隊第一大隊戦闘詳報がある。
この資料には、数日間にわたり収容した捕虜を、上部からの
命令で組織的に殺害した事実と方法について   記述している。
同戦闘詳報の   12月13日の記事を   以下に引用する。

   (13日)
   午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
   左記
   イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ   其ノ方法ハ
   十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
     (中略)
   午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附キ意見ノ
   交換ヲナサシメタル結果、各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室
   ヨリ五十名宛連レ出シ、第一中隊ハ路営地南方谷地、
   第三中隊ハ路営地西南方凹地、第四中隊ハ露営地東南
   谷地付近ニ於テ刺殺セシムルコトトセリ
   (中略)
   各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ   概ネ午後七時
   三十分刺殺ヲ終リ   聯隊ニ報告ス
   第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カント
   シテ失敗セリ
   捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲサシ伸ブルモノ、
   銃剣ノ前ニ乗リ出シ   従容トシ居ルモノアリタルモ、
   中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願セルモノアリ   特ニ隊長巡視
   ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ

この大隊には、連隊長を経由して旅団命令が伝達された。
命令内容は、「捕虜は全部殺すべし」   というものであり、
捕虜殺害を禁じた国際法規に反する非人道的処置だった。
聯隊からは、ご丁寧に、殺害の手順についても、「十数名
ずつ逐次銃殺してはどうか」   と提案されている。

命令を受けた大隊は、各中隊で分担して、50名ずつを
露営地外の   窪地や谷地など要所に連行して   刺殺した。
各隊とも午後5時から開始し、午後7時30分頃に終了。
聯隊に報告したが、中には   一気に焼き殺そうと試みて
失敗した中隊もあった   ということが   記録されている。

一旦収容した捕虜を   軍の命令で不法に殺害したことは
あきらかであり、これは   国際法に違反し、人道に背く
組織的な犯罪行為   そのものだった。

南京虐殺事件否定論の譎詐と限界(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/07 06:47 投稿番号: [37589 / 41162]
南京事件を否定する者の中には、「当時の日本軍の   規模では
何十万もの虐殺は物理的に不可能」「大虐殺を行う余力もない」
などと   主張するものがいる。   また「何十万もの膨大な量の
遺体は   どこに消えたのか」   などと疑問を呈し、大量虐殺は
なかったと   主張するものも   少なくない。

南京での捕虜の殺害は、数時間程度で   行われたものではない。
城内の掃蕩だけでも数日を要し、その前後の攻略戦を含めたら
さらに期間は長い。   その間に、10万人の兵力が   一人平均
数人の中国兵を殺しただけで   膨大な殺害数になる。もちろん
「百人斬り競争」の報道などは信憑性も薄く、無視すべきだが、
そうした誇張は例外としても、捕虜の大量殺害は容易といえる。

捕虜の   大量殺害の方法と   遺体の処理については、たとえば
第十六師団長中島今朝吾中将の日誌などからも   推測できる。
以下に引用してみよう。
  (12月13日)
   一、斯くて敗走する敵は大部分第十六師団の作戦地境内の
   森林村落地帯に出て又一方鎮江両塞より逃て来るもの
   ありて到る所に捕虜を見到底其始末に堪えざる程なり
   一、大体捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片付くる
   こととなしたる(れ)ども、千五千一万の群集となれば
   之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を
   失ひ、ぞろぞろついてくるから安全なるものの、之が
   一旦掻擾(騒擾)せば始末に困るので   部隊をトラック
   にて増派して監視と誘導に任じ   十三日夕はトラックの
   大活躍を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は
   敏速には出来ず   斯る処置は当初より予想だにせざりし
   処なれば参謀部は大多忙を極めたり
   一、後に至りて知る処に依りて佐々木部隊丈にて処理せし
   もの約一万五千、大平門に於ける守備の一中隊長が処理
   せしもの約一三○○   其仙鶴門附近に集結したるもの約
   七八千人あり尚続々投降し来る
   一、此七八千人之を片付くるには相当大なる壕を要し中々
   見当らず一案としては百二百に分割したる後適当のヶ処
   に誘きて処理する予定なり

12月13日の時点で、第十六師団だけで   始末に困るほどの
大量の捕虜を捕らえたが、これは「予想だに」しなかったため
「参謀部は大多忙を極めた」   としている。   そのうえで、
7〜8千人を「片付ける」には、「相当大なる壕」   を要するが
なかなか見当たらない。   そこで、100〜200人に分割し、
適当な場所に誘導して「処理する」予定である、と記している。

否定派の中には、文中の「大体捕虜はせぬ方針」   とあるのは
殺害の方針ではなく、銃器を取り上げて釈放するという意味だ、
と唱えるものもいる。しかし、上記の文章を素直に読解すれば、
捕虜は片端から   殺害するつもりだったが、数が多すぎるため
現場での処刑が難しい。   このため、小分けにして殺害しよう、
という意味だと   受け取るのが、より自然である   と思える。

すくなくとも、「相当大なる壕」というのは、死体の処理か、
あるいは   捕虜を入れて周囲から銃撃するためには使えるが、
釈放するのであれば、そのような大きな壕などは   必要ない。
遺体は   消えたのではなく、埋められたもの   と考えるのが
ごく自然であり、常識的な解釈だろう。

Re: 戦後もしっかりご活躍の731部隊関係

投稿者: singodama 投稿日時: 2011/12/07 04:39 投稿番号: [37588 / 41162]
書いていて恥ずかしくない?
馬鹿にはなりたくないな。

戦後もしっかりご活躍の731部隊関係者様

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2011/12/07 00:53 投稿番号: [37587 / 41162]
人体実験を今度は日本人で実施したんでしょうか??

http://ameblo.jp/sannriku/entry-10598482322.html



↓   東電も人体実験中!

★電源喪失防止措置をサボってた東電
テーマ:犯罪

  地震などで一部電源が喪失しても発電所全体で電力を融通できるように、福島第一1〜4と5〜6とを結ぶ電気ケーブルを敷く検討をm、2006年にしていたのに、距離が長く技術的に困難という理由で見送っていた。

  3.11後も6号機のディーゼル発電機だけは作動し、連係している5号機にも電力を送ることができた。

  1〜4はつながっており、5〜6とつないであれば電力供給を受けられた可能性がある。

  事故後、1〜4と5・6間ケーブル連結工事は実施されており、できないというのはうそだったことが

わかっている。



  [東京新聞   111024記事より]

http://ameblo.jp/sannriku/entry-11099126810.html

Re: 731部隊の人体実験 バカエモンへ

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/12/03 22:51 投稿番号: [37586 / 41162]
有った、有ったて喚くのが証明出来るんだろうが、無いと言う方に証明しろって、お前アホそのものだろうがの〜。

有るんだろ、証明しろ。で、偽造写真ばかりの貼り付けはシナ人そのものと思うのみだの〜。

Re: 731部隊の人体実験

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/03 22:23 投稿番号: [37585 / 41162]
>元日本兵の方を中国の裁判にかけるなど言語道断。

↑自己責任も取れないんでしょうね、証言者は。

Re: 731部隊の人体実験 バカエモンへ

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/03 19:17 投稿番号: [37584 / 41162]
おいおい、話の順序が違うんじゃないかい。

>そのアメリカが約10年間にわたる調査の結果、生物・化学兵器の
人体実験や実戦使用については確認できなかったとした。

と言い出したのはおまえだ。そのソースを示せと言っている。

Re: 731部隊の人体実験

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/03 18:34 投稿番号: [37583 / 41162]
>証言者は立派な方ですね、中国の刑事裁判に出廷してもらいましょう。

馬鹿なことを申すな。

元日本兵の方を中国の裁判にかけるなど言語道断。

中国では日本人旅行者の覚せい剤の所持でさえ死刑になりますぞ。

わしは反対する。

Re: 731部隊の人体実験 バカエモンへ

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/03 18:29 投稿番号: [37582 / 41162]
>どこに生物・化学兵器の人体実験や実戦使用については確認できる証拠があるんだ?

人体実験に近いことはやっとったらしいです。

わしは、ことし8月11日のNHKラジオ深夜便で、元731部隊(中帰連ではない人)の生の証言を聞いた。

その元隊員の仕事は、シャーレでチフス菌などを培養するということでしたな。

なんでこんなことさせられてるとか一切わからんかったらしい。

ある日ある場所へ彼は何の目的もわからず上官に連れて行かれた。

そしてそこに多くの中国人の捕虜を乗せたトラックがやってきた。

そこで彼は中国人捕虜に細菌を注射するよう命じられ、

中国人の捕虜はその後、ある村へ連行し開放された。

そして一週間後にその村へ行って、村の様子を調べたとかそんな話でしたな。

Re: 731部隊の人体実験 バカエモンへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/12/03 14:04 投稿番号: [37581 / 41162]
どこに生物・化学兵器の人体実験や実戦使用については確認できる証拠があるんだ?

ちゃんと翻訳して、生物・化学兵器の人体実験や実戦使用については確認できる証拠を示せ!

それと、お前ら反日左翼は、「アメリカが大金をはたいて731部隊から買い取った人体実験の資料」とか「アメリカは731部隊から研究資料を提出させたことによって罪を見逃した」などと言っていた。

どこに大金はたいて買い取ったり、重罪を免除するほどの情報があるんだ?
ん?

Re: 731部隊の人体実験 バカエモンへ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/03 11:31 投稿番号: [37580 / 41162]
馬鹿サヨは捏造を堂々とやる、脳無し君のように。

Re: 731部隊の人体実験 バカエモンへ

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/03 11:29 投稿番号: [37579 / 41162]
>そのアメリカが約10年間にわたる調査の結果、生物・化学兵器の
人体実験や実戦使用については確認できなかったとした。

馬鹿ウヨってのは、ガセをガセと暴かれたあとも平気な顔をして
ガセをばらまき続けるんだわな。そう書いてある英文を示してみな。

Re: 731部隊の人体実験 バカエモンへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/12/03 11:12 投稿番号: [37578 / 41162]
>こてこての反米主義のおまえが米政府の発表をまともに受けるわけがない。
>都合のよい時だけアメリカを利用する。
>相変わらず、卑劣な確信犯だな、おまえは。


アメリカは日本に都合の悪いことは捏造しても、日本に都合の良いことは捏造しない。

そのアメリカが約10年間にわたる調査の結果、生物・化学兵器の人体実験や実戦使用については確認できなかったとした。

Re: 731部隊の人体実験

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/12/03 10:56 投稿番号: [37577 / 41162]
>>約10年間にわたる調査の結果、生物・化学兵器の人体実験や実戦使用については確認できなかったとした。

>どこでそんなガセネタを拾ってきたんだね?


アホ!
ガセネタはオマエの方だろ。

どこに生物・化学兵器の人体実験や実戦使用については確認できる証拠があるんだ?

ちゃんと翻訳して、生物・化学兵器の人体実験や実戦使用については確認できる証拠を示せ!

それと、お前ら反日左翼は、「アメリカが大金をはたいて731部隊から買い取った人体実験の資料」とか「アメリカは731部隊から研究資料を提出させたことによって罪を見逃した」などと言っていた。

どこに大金はたいて買い取ったり、重罪を免除するほどの情報があるんだ?
ん?

ば〜か!

父親は死んだのか、嘘つきfukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/12/01 20:07 投稿番号: [37576 / 41162]
本当にお前の父親は死んだのか?

どうよ、嘘ばっかりついているけど。

Re: 暴力教師

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/01 15:16 投稿番号: [37575 / 41162]
昔から嘘を吐く子がよく居たよね、脳味噌が腐ったような嘘を吐く唐変木とも言ってた様なきがするよ、今も嘘吐くからね、嘘吐く君。

Re: 暴力教師

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/01 14:56 投稿番号: [37574 / 41162]
>脳味噌の悪い子は居たようだね>

うん、なんかニャンコチャンとかよばれていたけど。

Re: 暴力教師

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/01 14:49 投稿番号: [37573 / 41162]
不良の子は居なかったが、脳味噌の悪い子は居たようだね、嘘吐く君。

小学校で不良など聞いたことが無いような気がするね、当時は君の学校以外には居たのかい、嘘吐く君。

Re: 暴力教師

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/01 14:26 投稿番号: [37572 / 41162]
>教育に暴力は付きもの>

キチガイの面目躍如だね、ニャンコチャン!

>気違い生徒も居るからね>

文京区って〜とこは、お上品な山の手で、おいらの通っていた小学校では不良の子供は一人もいなかったけどね。

Re: 暴力教師

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/01 13:56 投稿番号: [37571 / 41162]
教育に暴力は付きもの、古今東西を問わない、嘘吐く君。

唯現代にマッチしないだけ、唐変木が当時マッチしなかったように、嘘吐く君。

特にスパルタ教育は全世界が見習った、嘘吐く君。

教師から打たれて後遺症が残ったというのは聞かない、犯罪を別にすれば、嘘吐く君。

気違い生徒も居るからね、教師に暴力奮う、嘘吐き君。

暴力教師

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/01 13:28 投稿番号: [37570 / 41162]
>君が体験したことだから信じなさい

おいらは子供の頃文京区にある窪町小学校というところに通っていた。
そこに石田という元憲兵だった教師がいた。

彼は、自分の気に食わない生徒の頭を思い切りぶん殴るのが
大好きな狂人であった。

なぐられた生徒は二時間くらい頭がくらくらして、まともに
歩けなかった。

今なら、この教師は傷害罪で刑務所に入れられていただろう。
無辜な子供の生徒に犠牲者がでなかったのはせめてもの救いである。
ひとつ間違えれば、殴られた子供は一生障害をおってしまう。

幸い、おいらはこのキチガイ教師の暴力の被害にはあわなかったが、
この教師の暴行を今でも許すことはできない。

Re: 横 反日教育 ikuyo_kuruyoへ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/01 12:07 投稿番号: [37569 / 41162]
君が体験したことだから信じなさい、嘘吐く君。

ほいで、嘘つきfukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/12/01 10:19 投稿番号: [37568 / 41162]
父親は本当に死んでるのか?

本当に本当か?

横 反日教育 ikuyo_kuruyoへ

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/01 09:51 投稿番号: [37567 / 41162]
>日教組の反日教育でトウヘンボクも反日なんでしょうなぁ〜。

日教組の反日教育って具体的にどんな教育なの?
おいら子供の頃、もと憲兵だった暴力教師の教育を受けてるんだけど。

日教組がどうのこうのという話には全く興味が無いんだよね。
だいたい、おいら共産党員じゃ〜ないし。

Re: 731部隊の人体実験

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/12/01 08:33 投稿番号: [37566 / 41162]
ん〜。了解。

但し、事実を述べているかどうかも解らん、反日マスゴミの弊害が目に余るものがある。これも、反日教育の日教組の賜物でしょうなぁ〜。

Re: 731部隊の人体実験

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/01 01:50 投稿番号: [37565 / 41162]
<oldjiiji>
>御仁も戦後教育の賜物なんでしょうかなぁ〜。

馬鹿を申すな、わしは戦前の教育を受けとる。

わしはなによりもチャンコロつまりシナ人が嫌いでな。

わしが731部隊の隊員なら、率先して細菌をばらまいたかもしれん。

しかしNHKで証言されたお方は立派ですな。

わしなら墓場まで黙っておるだろう。



戦前の教育を受けている人の文章ではありませんね。
ことば遣いにもそれは顕れております。
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