南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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ついでにもう一つ

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/05/11 22:35 投稿番号: [9633 / 41162]
  ついでだから『「南京事件」日本人48人の証言』   からもう一つ引用。

野砲兵第二十二連隊長・三国直福大佐の証言

・・・・・・・・・
「戦争裁判は問題があると思います。
  私は終戦時にハノイにおりまして、船に乗って出発という時に米軍将校により船から降ろされ、宍戸参謀長と一緒に広東に連れていかれ、戦犯に指定されました。この時の裁判というのが目茶苦茶で、私の罪状が、汪偽政権を作った、私の兵が市民に乱暴したというのです。確かに汪政権ができた時は南京特務機関長でしたが、深くかかわっていません。兵の乱暴についても私の師団は戦闘もあまりなく、軍紀については強く言ってましたのできちんとしていました。軍紀がしっかりしていたので支隊に賞詞を与えたくらいです。ですから市民に乱暴したと言われた時、証拠を見せてほしいと言ったくらいです。そうすると綴りを持ってきました。見ると、証拠というものは、中国軍が市民に被害を出せと命令して出させたものなのです。綴りにはその命令まで書いてあります。しかも、そこに書いてあることは旧暦で、場所も日も師団のいたところとはほとんど合わないのです。中国の証拠とはこういうものでした。
  また、裁判を開いても、検察官も弁護士もいないこともありました。ある人の死刑の判決文には、容貌魁偉、とあったそうですが、判決に容貌は関係がないと思います。
  私も、周りの噂では死刑だということでしたが、それに構わず黙っていないで全部反論しました。私の裁判は最後の方でしたが、それまで将官の死刑が多すぎたというので、私の前の人から無期徒刑となり、結局、私も無期徒刑となりました。それで広東の監獄に二年、上海監獄に移されて一年半、さらに二十七年までの三年半巣鴨に入ってました。
  戦後、中国が行なった戦犯裁判というものはそんな類のものだったと思います」
・・・・・・・・・

  「広東に連れていかれ」の段階で休戦条約違反であるという点はこの際、横に置いておきます。
  この証言に描かれる裁判は、明らかに1929年ジュネーブ捕虜条約に違反しているものです。
  それどころか、裁判の名に値しないものです。
  捕虜条約に定められた裁判によらず、捕虜を処刑したのは日本ではなく中国の方です。
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