三光作戦ではなく、燼滅作戦でしょ
投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2002/08/23 10:52 投稿番号: [898 / 41162]
これは日本軍が行ったという記録がありますよ。
[参考]
http://plaza18.mbn.or.jp/~modernH/paper41.htm(12)中国占領地
日本軍は満州を除く中国本土に約70万人、敗戦時には約100万人の大軍を派遣した。しかし都市と交通網だけ、つまり点と線のみ抑えただけで農村部までおさえることはできなかった。「現地自活」方針をとっていた日本軍は食糧を確保するために市場価格より大幅に安い価格で米などを強制買い付けした。また国民党軍や共産党軍に対する経済封鎖をおこなったため、都市には農産物が入らず、農村には工業製品が入らない状況になった。そこに日本軍は物資調達のために軍票や円系通貨を乱発し激しいインフレを引き起こした。
1940年9月の第一期晋中作戦、すなわち山西省の抗日根拠地に対する「燼滅作戦」以来の日本軍の燼滅・粛清作戦は、中国側から三光作戦と非難をあびるようになっていたが、太平洋戦争開始後も各地でおこなわれた。また1942年から万里の長城沿いの地域の「無人区」化が図られた。これは八路軍の活動を封じるためにこの地域を「無人区」にしようとした作戦で、対象となった村は焼き払われ、抵抗する村人は殺された。追い出された人々は「人囲い」と呼ばれた集団部落に集められたが、農地も家畜も不足し、ひどい環境のしたで伝染病や飢えのために多くの犠牲を出した。長城のすぐ北側の熱河省興隆県ではこの「無人区」化によって7万間余りの民家が焼かれ、3万頭余りの家畜が奪われた。1万5402余りが殺され、1万5千人が強制労働のために満州に連行され、そのほかに凍死、餓死、病死者を多数出した。その結果、16万余りの人口が10万人余りにまで減少した。
こうした三光作戦や「無人区」化作戦によって、1941年から翌年にかけて華北の抗日根拠地の面積は六分の一に、人口は4000万から2500万人に、八路軍の兵力は40万(1940年)から30万人に減少した(姫田光義・陳平『もう一つの三光作戦』青木書店)。
もっと詳しく調べたいなら、一次資料の
独立混成第四旅団「昭和一五年九月一日〜九月一八日 第一期晋中作戦戦闘詳報」
(防衛庁防衛研究所図書館蔵)
を閲覧して下さい。
これは メッセージ 897 (chopinporlando さん)への返信です.
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