南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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期待されてないヒト σ(^_^;

投稿者: ja2047 投稿日時: 2006/01/09 08:56 投稿番号: [8186 / 41162]
>特に一番最初にあげた件が気になります。ja氏あたりの説明も期待せず待ってみようと思います。

期待されていないようですが、取りあえず来ました(^^;


>まず確認しておきたいのだが、南京には安全区という非戦闘地域があり、ほぼ全ての市民が避難できていた。これだけでも沖縄戦より遥かに好条件だと思うがそれはおいておこう。

私も城内住民の大半が安全区に入ったと思います。
当初は一部安全区外の城内に残留したようですが、これも占領後には次々に
安全区内に避難してきています。
城内について言えば沖縄戦のような住民を巻き込んだ徹底抗戦とは違います。


>また一部中国軍兵士も逃げこんだようだが、安全区‘全域’に対した掃討戦は行われていない。

12月14日以降の「安全区掃討」は歩兵第七連隊の担当ですが、掃討の対象区域は
安全区の全域です

第9師団   歩兵第6旅団   歩兵第7連隊
歩七作命甲第一〇六号
歩兵第七連隊命令
十二月十三日午後九時三〇分
於   南京東廠街連隊本部
一.連隊は明十四日引続き担任地区内の掃蕩を実施せんとす
二.各大隊は左記に基き掃蕩を実施すへし
  1.掃蕩区域別紙要図の如し
[以下略]

また、掃討の対象は「敗残兵」であって、「便衣兵」ではないのですね。

歩七作命甲第一一一号
十二月十五日午後八時三〇分
於   南京東部連隊本部
一、本十五日迄捕獲したる俘虜を調査せし所に依れは殆と下士官兵のみにて将校は認められさる状況なり
   将校は便衣に更へ難民地区に滞在しあるか加し
二、連隊は明十六日全力を難民地区に指向し徹底的に敗残兵を捕捉殲滅せんとす
    憲兵隊は連隊に協力する筈
[以下略]

捕獲した中国兵は「俘虜」であり、掃討対象は「敗残兵」であることが分かると思います。

実は当時の日本軍の資料では基本的にこれらの潜伏兵士を「敗残兵」「俘虜」と
呼んでおり、「ゲリラと見なして処刑した」と書いてあるものはないのです。
東京裁判においても、「ゲリラと見なしての全員殺害は正当である」と言う弁護は
なされていません。「一部は裁判に掛けたはずで、あとは釈放しました」と言っている。
「ゲリラ処刑合法説」というのは当時の認識にはなく、意外に新しいということです。

>上の2点が正しい場合虐殺に相当する行為というのは、
降伏した兵士たちをその場で銃殺、皆殺しにすることだと思うのだが、これに関する記録はどの程度あるのだろう?

日本側記録によれば、安全区で摘出した敗残兵の総数は9000。
城外での捕虜の数はこれより多い数万。
研究者により集計は違いますが、秦集計で
城外捕虜の殺害:2万1千
安全区捕虜の殺害:9000

記録については、南京攻略軍の戦闘詳報の1/3が残存していると
言われています。
安全区から摘出した敗残兵について言えば下記が代表的なものです。

歩兵第七連隊『戦闘詳報  
自十二月十三日   至十二月二十四日   南京城内掃蕩成果表   歩兵第七連隊
一、射耗弾   小銃        五,〇〇〇発
         重機関銃     二、〇〇〇発
二、刺射殺数(敗残兵)     六、六七○
三、鹵獲品   (略)

佐々木到一少将私記   一月五日
  査問会打切、此日迄に城内より摘出せし敗兵約二千、旧外交部に収容、外国宣教師の手中に在りし支那傷病兵を俘虜として収容。
  城外近郊に在つて不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関に於いて処分せるもの数千に達す。

捕虜処分の記録は公式記録、個人記録を含めて大量にありますね。


>まさかと思うが南京大虐殺の虐殺が正規軍のぶつかり合いで中国軍に多大な被害がでたことを意味してたりしないよね。

中国側の集計方法では、これが含まれていることになりますね、
なにしろ死体埋葬数を全部足しちゃってますから。

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