誰も知らなかった毛沢東 『マオ』
投稿者: kaka8950jc 投稿日時: 2005/12/31 17:04 投稿番号: [8083 / 41162]
『マオ』ユン・チアン(張戎)
ジョン・ハリデイ
講談社
作者は世界的ベストセラー(1000万部)になった『ワイルド・スワン』の作者です。
今日大枚はたいて上下巻4400円買いました。定年退職者としては少し躊躇しましたが立ち読みして衝動買いしてしまいました。
今日から読むむのですが作者の『日本語版によせて』だけですが要点を紹介します。
この毛沢東伝は、十余年にわたる調査と数百人に及ぶ関係者へのインタビューにもとずいて書き上げたものです。インタビューに応じてくださった方々は、中国はもちろんのこと、日本を含む世界各国に及んでいます。
私たちが入手した情報は、多くが原資料によるものです。
ロシアの公文書館に保管されていた毛沢東とスターリンの未発表通信文、アルバニアの公文書館の資料も使われています。
中国国内では、毛沢東の親族、秘書、通訳、護衛、医療関係、家政担当、愛人若い頃の友人、毛沢東の近くにいた100人程の人々にインタビューしました。その多くはこれまで一度も口を開いたことの無かった人々です。
又重要な場所すべてに足を運びました。
私たちが発見した事実の中には、1937年から1945年までの毛沢東の対日戦略も含まれています。
毛沢東は抗日に熱心だったと信じられていますが、事実はまったく逆で、毛沢東は日本が中国を広範に占領する展開を歓迎していました。
日本軍がライバルの国民党蒋介石を打ち負かしてくれればいい、と考えていたのです。
後年、毛沢東は国民党政府の戦時首都であった重慶まで日本軍が攻め込む展開を望んでいた、と語っています。
1923年の時点では毛沢東は中国に共産政権を成功させるにはソ連の進行による以外にない、と発言していました。
日本による侵略が毛沢東の政権奪取を助けたのは確かです。
以上
社会党訪問団が訪中し日本の侵略戦争を謝罪した時、毛沢東は日本皇軍のおかげで今の国がある。誤らなくてもいいですと発言した事が事実だったことが証明されたのです。
訒小平も、旧日本軍人で自衛隊の高官を務め退職した訪中団との会見でも同様の発言しています。
元外務省の伴公使のプログですが、会見して軍人達が昔の侵略戦争を謝罪すると訒小平は、我々は蒋介石軍に囲まれ兵も2万足らずで滅びる寸前だったが敵が急に日本軍攻撃に方向転換したので助かった、今あるのは日本軍のおかげです。
朝日新聞の書評欄で、報道ステーションの加藤某論説委員がこの本を事実ならアジアの歴史が変わる程の衝撃的な本と紹介しています。
少しは彼も勉強してほしいものです。
私は元アメリカ公使のラルフ・タウンゼント(1933年34年)の書いた『暗黒大国中国云々(忘れた)』を図書館で読みましたが、昔も今も中国人気質はまったく変わっていません。
強者には弱い。約束は守らない。人の生死に無関心(人権)、謝罪は絶対しない(強者には謝る)各地に居た軍閥の残酷さ(今も地方の農民に対する対応)
『暗黒大陸中国』を読めば当時の内戦時代、戦地になった各地方では数十万単位の農民が惨殺され略奪で餓死しています。
又兵は給金は無く鉄砲が給金の役目を果たすのです。軍閥が移動すると後は破壊され略奪され尽くされたのが残るのです。
各地の軍閥が統一され国民党となり、その兵達が日本軍に上海から追われ南京まで退却する途中、又南京から逃げる時、品行方正とは言いがたい、
私は南京攻略戦で市民が犠牲になったのは事実だと思います。
日本軍の中にも不埒な輩もいて女性に対する犯罪行為もあったと思います。
が30万人無差別殺害?物理的に不可能です。
沖縄戦で米軍は地平線が真っ黒に見える程の艦船で包囲し、艦砲射撃をし空母からの爆撃で砲弾、爆弾、数万トン沖縄の山の形が変わりました。
島ですから逃げられません、洞窟に逃げれば火炎放射器で焼かれ手榴弾を放り込まれ殺されました。それでも23万程の人が犠牲になりました。
南京では大規模の爆撃、砲撃はやっていません、日本軍は機銃も多く持っていません
歩兵の多くは単発銃です。大量の殺戮は出来ません。もし30万人が死んだらその数倍の負傷者が居るはずです、その記録もありません。
死者の処分も大変です。重機も無いしトラックも多くは使えない、五体満足きれいな死体は少ないでしょう。
思いつくままレスしました。
良いお年をお迎えください、では失礼いたします。
作者は世界的ベストセラー(1000万部)になった『ワイルド・スワン』の作者です。
今日大枚はたいて上下巻4400円買いました。定年退職者としては少し躊躇しましたが立ち読みして衝動買いしてしまいました。
今日から読むむのですが作者の『日本語版によせて』だけですが要点を紹介します。
この毛沢東伝は、十余年にわたる調査と数百人に及ぶ関係者へのインタビューにもとずいて書き上げたものです。インタビューに応じてくださった方々は、中国はもちろんのこと、日本を含む世界各国に及んでいます。
私たちが入手した情報は、多くが原資料によるものです。
ロシアの公文書館に保管されていた毛沢東とスターリンの未発表通信文、アルバニアの公文書館の資料も使われています。
中国国内では、毛沢東の親族、秘書、通訳、護衛、医療関係、家政担当、愛人若い頃の友人、毛沢東の近くにいた100人程の人々にインタビューしました。その多くはこれまで一度も口を開いたことの無かった人々です。
又重要な場所すべてに足を運びました。
私たちが発見した事実の中には、1937年から1945年までの毛沢東の対日戦略も含まれています。
毛沢東は抗日に熱心だったと信じられていますが、事実はまったく逆で、毛沢東は日本が中国を広範に占領する展開を歓迎していました。
日本軍がライバルの国民党蒋介石を打ち負かしてくれればいい、と考えていたのです。
後年、毛沢東は国民党政府の戦時首都であった重慶まで日本軍が攻め込む展開を望んでいた、と語っています。
1923年の時点では毛沢東は中国に共産政権を成功させるにはソ連の進行による以外にない、と発言していました。
日本による侵略が毛沢東の政権奪取を助けたのは確かです。
以上
社会党訪問団が訪中し日本の侵略戦争を謝罪した時、毛沢東は日本皇軍のおかげで今の国がある。誤らなくてもいいですと発言した事が事実だったことが証明されたのです。
訒小平も、旧日本軍人で自衛隊の高官を務め退職した訪中団との会見でも同様の発言しています。
元外務省の伴公使のプログですが、会見して軍人達が昔の侵略戦争を謝罪すると訒小平は、我々は蒋介石軍に囲まれ兵も2万足らずで滅びる寸前だったが敵が急に日本軍攻撃に方向転換したので助かった、今あるのは日本軍のおかげです。
朝日新聞の書評欄で、報道ステーションの加藤某論説委員がこの本を事実ならアジアの歴史が変わる程の衝撃的な本と紹介しています。
少しは彼も勉強してほしいものです。
私は元アメリカ公使のラルフ・タウンゼント(1933年34年)の書いた『暗黒大国中国云々(忘れた)』を図書館で読みましたが、昔も今も中国人気質はまったく変わっていません。
強者には弱い。約束は守らない。人の生死に無関心(人権)、謝罪は絶対しない(強者には謝る)各地に居た軍閥の残酷さ(今も地方の農民に対する対応)
『暗黒大陸中国』を読めば当時の内戦時代、戦地になった各地方では数十万単位の農民が惨殺され略奪で餓死しています。
又兵は給金は無く鉄砲が給金の役目を果たすのです。軍閥が移動すると後は破壊され略奪され尽くされたのが残るのです。
各地の軍閥が統一され国民党となり、その兵達が日本軍に上海から追われ南京まで退却する途中、又南京から逃げる時、品行方正とは言いがたい、
私は南京攻略戦で市民が犠牲になったのは事実だと思います。
日本軍の中にも不埒な輩もいて女性に対する犯罪行為もあったと思います。
が30万人無差別殺害?物理的に不可能です。
沖縄戦で米軍は地平線が真っ黒に見える程の艦船で包囲し、艦砲射撃をし空母からの爆撃で砲弾、爆弾、数万トン沖縄の山の形が変わりました。
島ですから逃げられません、洞窟に逃げれば火炎放射器で焼かれ手榴弾を放り込まれ殺されました。それでも23万程の人が犠牲になりました。
南京では大規模の爆撃、砲撃はやっていません、日本軍は機銃も多く持っていません
歩兵の多くは単発銃です。大量の殺戮は出来ません。もし30万人が死んだらその数倍の負傷者が居るはずです、その記録もありません。
死者の処分も大変です。重機も無いしトラックも多くは使えない、五体満足きれいな死体は少ないでしょう。
思いつくままレスしました。
良いお年をお迎えください、では失礼いたします。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.