こんなニュースがあったの
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/12/26 07:10 投稿番号: [8005 / 41162]
>例えば、どんなニュースがあったの?
一九三八年二月四日
記者は、パニックの南京の中国人虐殺をアメリカのジャックラビット狩りに比す
A・T・ステイール
<シカゴ・デイリー・ニューズ>紙外信部特別通信
<シカゴ・デイリー・ニューズ>社版権所有、一九三八年
南京発。西部でジャックラビット(プレーリーに棲む耳の長い大ウサギ−訳者)狩りを見たことがある。それは、ハンターのなす警戒線が無力なウサギに向かってせばめられ、囲いに追い立てられ、そこで殴り殺されるか、撃ち殺されるかするのだった。南京での光景はまったく同じで、そこでは人間が餌食なのだ。逃げ場を失った人々はウサギのように無力で、戦意を失っていた。その多くは武器をすでに放棄していた。
日本軍が街路をゆっくり巡回して、走ったり疑わしい動きをするものなら誰でも、機関銃と小銃で射殺するようになると、敗退し闘志を失った軍隊はいわゆる安全区になだれこんだ。そこは掃討を受けていない最後の地域の一つであったが、一方、街路は地獄であった。
まだ軍服を着ている兵士はできるだけ早くそれを脱ぎ捨てていた。町のあちこちで兵士が軍服を投げ捨て、店から盗んだり銃口を突きつけて人から引き剥がしたりした平服を身につけているのを見た。下着だけで歩き回る者もいた。中国の役人の家から盗んだらしい山高帽に下着だけの格好で、ある兵士が得意げに町を散策しているのも見かけた。
銃砲の散乱する街路
小銃は壊され、山と積まれて燃やされた。街路には遺棄された軍服や武器、弾薬、装備等が散乱した。平時であれば、一般住民−まだ約一〇万人が市内にいた−はかかる逸品を得んと奪い合うのだが、いまや軍服や銃を持っているところが見つかれば殺されることを誰もが知っていた。
だが数人の老婆がうろつき、軍服を切って中の綿を抜き取り、喜色満々とポロ家に運んでいった。そのとき、軍が米でいっぱいの倉庫を放棄したという話が広まり、安全区中の小屋という小屋、壕という壕から人々が飛び出してきて、怒涛のように倉庫に押し寄せ、中身を数時間で奪い尽くした。
日本側の捜索網がせばめられるにつれて、恐怖のあまりほとんど発狂状態になる兵士もいた。突然、ある兵士が自転車をつかむと、わずか数百ヤードの距離にいた日本軍の方向に向かって狂ったように突進した。道行く人が、「危ないぞ」と警告すると、彼は急に向きを変え、反対方向に突っ走った。突如、彼は自転車から飛び降りるなりある市民に体当たりし、最後に見たときには、自分の軍服を投げ捨てながらその男の服を引き剥がそうとするところであった。
ドイツ人が兵士を殴る
ある兵士は騎馬して当てもなく路上を走り、理由もなくただ拳銃を空に向けて放っていた。市内に残った少数の外国人の一人である屈強な一ドイツ人は、なんとかせねばならんと決めた。彼は、兵士を馬から引きずり下ろすと、銃をもぎとり、横っつらを殴った。兵士は呻き声も出さずにこれを受けた。
パニックになった兵士たちは、走行中の私の車の上に飛び乗り、どこか安全な場所に連れていってくれと哀願した。銃と金を差し出し、見返りとして保護を求める者もいた。怯えた一群の兵士たちが、少数のアメリカ宣教師とドイツ商人によって設立された安全区国際委員会本部の周りに群がった。彼らは、構内に翻るドイツ国旗が一種の災難除けのお守りにでもなると信じて、入れてくれるよう懇願した。
とうとう、その一部が銃を捨てながら門に押し入り、外にいた残りの兵士も銃器を塀を越えて投げ入れだした。拳銃、小銃と機関銃が中庭に落ち、宣教師によって慎重に拾い集められ、日本軍に差し出させるためにしまい込まれるのだった。
一九三八年二月四日
記者は、パニックの南京の中国人虐殺をアメリカのジャックラビット狩りに比す
A・T・ステイール
<シカゴ・デイリー・ニューズ>紙外信部特別通信
<シカゴ・デイリー・ニューズ>社版権所有、一九三八年
南京発。西部でジャックラビット(プレーリーに棲む耳の長い大ウサギ−訳者)狩りを見たことがある。それは、ハンターのなす警戒線が無力なウサギに向かってせばめられ、囲いに追い立てられ、そこで殴り殺されるか、撃ち殺されるかするのだった。南京での光景はまったく同じで、そこでは人間が餌食なのだ。逃げ場を失った人々はウサギのように無力で、戦意を失っていた。その多くは武器をすでに放棄していた。
日本軍が街路をゆっくり巡回して、走ったり疑わしい動きをするものなら誰でも、機関銃と小銃で射殺するようになると、敗退し闘志を失った軍隊はいわゆる安全区になだれこんだ。そこは掃討を受けていない最後の地域の一つであったが、一方、街路は地獄であった。
まだ軍服を着ている兵士はできるだけ早くそれを脱ぎ捨てていた。町のあちこちで兵士が軍服を投げ捨て、店から盗んだり銃口を突きつけて人から引き剥がしたりした平服を身につけているのを見た。下着だけで歩き回る者もいた。中国の役人の家から盗んだらしい山高帽に下着だけの格好で、ある兵士が得意げに町を散策しているのも見かけた。
銃砲の散乱する街路
小銃は壊され、山と積まれて燃やされた。街路には遺棄された軍服や武器、弾薬、装備等が散乱した。平時であれば、一般住民−まだ約一〇万人が市内にいた−はかかる逸品を得んと奪い合うのだが、いまや軍服や銃を持っているところが見つかれば殺されることを誰もが知っていた。
だが数人の老婆がうろつき、軍服を切って中の綿を抜き取り、喜色満々とポロ家に運んでいった。そのとき、軍が米でいっぱいの倉庫を放棄したという話が広まり、安全区中の小屋という小屋、壕という壕から人々が飛び出してきて、怒涛のように倉庫に押し寄せ、中身を数時間で奪い尽くした。
日本側の捜索網がせばめられるにつれて、恐怖のあまりほとんど発狂状態になる兵士もいた。突然、ある兵士が自転車をつかむと、わずか数百ヤードの距離にいた日本軍の方向に向かって狂ったように突進した。道行く人が、「危ないぞ」と警告すると、彼は急に向きを変え、反対方向に突っ走った。突如、彼は自転車から飛び降りるなりある市民に体当たりし、最後に見たときには、自分の軍服を投げ捨てながらその男の服を引き剥がそうとするところであった。
ドイツ人が兵士を殴る
ある兵士は騎馬して当てもなく路上を走り、理由もなくただ拳銃を空に向けて放っていた。市内に残った少数の外国人の一人である屈強な一ドイツ人は、なんとかせねばならんと決めた。彼は、兵士を馬から引きずり下ろすと、銃をもぎとり、横っつらを殴った。兵士は呻き声も出さずにこれを受けた。
パニックになった兵士たちは、走行中の私の車の上に飛び乗り、どこか安全な場所に連れていってくれと哀願した。銃と金を差し出し、見返りとして保護を求める者もいた。怯えた一群の兵士たちが、少数のアメリカ宣教師とドイツ商人によって設立された安全区国際委員会本部の周りに群がった。彼らは、構内に翻るドイツ国旗が一種の災難除けのお守りにでもなると信じて、入れてくれるよう懇願した。
とうとう、その一部が銃を捨てながら門に押し入り、外にいた残りの兵士も銃器を塀を越えて投げ入れだした。拳銃、小銃と機関銃が中庭に落ち、宣教師によって慎重に拾い集められ、日本軍に差し出させるためにしまい込まれるのだった。
これは メッセージ 7998 (deliciousicecoffee さん)への返信です.