Re: (横)Re: 「資料」とは「見るもの」
投稿者: hetarero 投稿日時: 2005/12/25 23:45 投稿番号: [7999 / 41162]
>この参謀総長が、「婦女暴行だけでも百件以上に上る」と知った情報源は何ですか?
それって、警察発表に対して、
「その犯罪情報のソースはどこですか?」
と訊ねるようなものですね(DQN)。
警察権を行使していた軍自身の情報ですよ(笑い)。
平和時でも婦女暴行やストーカー行為を握りつぶす埼玉県警に較べたら、1次情報源でもあり治安・軍規統括にあたった第十軍参謀部や憲兵隊首脳は、起こったことを見つめて反省するだけ、健全だったのかもしれませんね。
この命令書に出てくる憲兵隊長上砂勝七氏の手記もあります。命令書の背景、軍規の乱れた状況がわかります。
====(その一部引用開始)
南船北馬は中国の通り言葉で、柳川軍の行動した地方はクリーク(小さい運河)が多いので有名である。又特に、上陸地点に注ぐ銭塘江は世界で有数の潮の干満差の激しい場所とて、船団は無事杭州湾頭に碇を下し、部隊は攻撃前進に移ったものの、兵器、弾薬、糧食などの揚陸作業が順調に捗らず、一部の輸送船は揚陸のため呉淋へ回航し、上海経由で追及したような情況であったから、第一線部隊の携行糧秣は瞬く間に無くなり、補給は続かず、全く「糧食を敵による」戦法に出なけれはならない有様であって、勢い徴発によったのである。
然しこの徴発たるや、徴発令に基く正当な徴発は、現地官民共に四散しているため実行不可能で、自然無断徴用の形となり、色々の弊害を伴った。この情勢を見ていた軍経理部長は、「こんな無茶な作戦計画があるものか、こんな計画では到底経理部長としては補給担当の責任は持てないから、離任して内地へ帰えらして貰う」といきりたった程で、参謀長田辺盛武少将の口添えでその場はおさまったが、この作戦とこれに伴う補給とは、なかく調和の困難なものであった。昔、宇治川の戦いに於ける、佐々木高網と梶原景季との先陣争いは有名な語り草であるが、こんな心理は、古今相通ずるものがあると痛感したことである。
右の如く軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが、何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、一部の者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さして進んだのである。
この状態が東京の中央部に伝わったので、時の参謀総長閑院宮閣下から「軍紀粛正に関する訓示」が出された。
戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は山地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、故に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した。
===引用おわり さらにはこちら
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/kenpei.html
それって、警察発表に対して、
「その犯罪情報のソースはどこですか?」
と訊ねるようなものですね(DQN)。
警察権を行使していた軍自身の情報ですよ(笑い)。
平和時でも婦女暴行やストーカー行為を握りつぶす埼玉県警に較べたら、1次情報源でもあり治安・軍規統括にあたった第十軍参謀部や憲兵隊首脳は、起こったことを見つめて反省するだけ、健全だったのかもしれませんね。
この命令書に出てくる憲兵隊長上砂勝七氏の手記もあります。命令書の背景、軍規の乱れた状況がわかります。
====(その一部引用開始)
南船北馬は中国の通り言葉で、柳川軍の行動した地方はクリーク(小さい運河)が多いので有名である。又特に、上陸地点に注ぐ銭塘江は世界で有数の潮の干満差の激しい場所とて、船団は無事杭州湾頭に碇を下し、部隊は攻撃前進に移ったものの、兵器、弾薬、糧食などの揚陸作業が順調に捗らず、一部の輸送船は揚陸のため呉淋へ回航し、上海経由で追及したような情況であったから、第一線部隊の携行糧秣は瞬く間に無くなり、補給は続かず、全く「糧食を敵による」戦法に出なけれはならない有様であって、勢い徴発によったのである。
然しこの徴発たるや、徴発令に基く正当な徴発は、現地官民共に四散しているため実行不可能で、自然無断徴用の形となり、色々の弊害を伴った。この情勢を見ていた軍経理部長は、「こんな無茶な作戦計画があるものか、こんな計画では到底経理部長としては補給担当の責任は持てないから、離任して内地へ帰えらして貰う」といきりたった程で、参謀長田辺盛武少将の口添えでその場はおさまったが、この作戦とこれに伴う補給とは、なかく調和の困難なものであった。昔、宇治川の戦いに於ける、佐々木高網と梶原景季との先陣争いは有名な語り草であるが、こんな心理は、古今相通ずるものがあると痛感したことである。
右の如く軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが、何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、一部の者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さして進んだのである。
この状態が東京の中央部に伝わったので、時の参謀総長閑院宮閣下から「軍紀粛正に関する訓示」が出された。
戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は山地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、故に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した。
===引用おわり さらにはこちら
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/kenpei.html
これは メッセージ 7996 (deliciousicecoffee さん)への返信です.