Re: 大虐殺が無い証拠の一つになっています
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/12/21 19:09 投稿番号: [7957 / 41162]
>スマイス調査では市民の死亡数は12000人であり(死者の数であって虐殺数ではない)、
>大虐殺が無い証拠の一つになっています。
12000人などと言う数字も、便衣兵などが含まれている可能性があり、本当に無辜の市民だったかどうか非常に怪しいです。
>郊外は焦土作戦や避難で無人ですし、遠い農村部は関係が無いことです。
そのとおりです。
「句容県」の例を見てみましょう。
句容は、南京戦の前に支那軍によって無人にされました。
―――――――――――――――――
『南京事件の日々』:12月6日付ミニー・ヴォートリンの日記
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。
―――――――――――――――――
しかし、スマイス調査では「227,300人」の住民が居て、その内「8,530人」が虐殺されたことになっています。
―――――――――――――――――
【スマイス調査・南京地区における戦争被害】
(県名)句容
住民総数 227,300人
死因・暴行の総数 8,530人 (男6,700人・女1,830人)
―――――――――――――――――
実態はどうかと言いますと、日本軍が占領して支那軍が去った後、支那軍に奪われ焼かれ追い払われていた農民たちが句容に戻って来たのですが、またしても支那兵や盗賊が掠奪や虐殺を行なったので日本軍が治安の維持に努めていたようですね。
―――――――――――――――――
私家版の片山兵二著『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』(昭和52年)
以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様。
「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」(347頁)
大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る、湯山の南の句容の状況。
「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。・・・奴らの残忍性にはあきれます。
農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」(349頁〜350頁)
『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著(小学館文庫)より引用
>大虐殺が無い証拠の一つになっています。
12000人などと言う数字も、便衣兵などが含まれている可能性があり、本当に無辜の市民だったかどうか非常に怪しいです。
>郊外は焦土作戦や避難で無人ですし、遠い農村部は関係が無いことです。
そのとおりです。
「句容県」の例を見てみましょう。
句容は、南京戦の前に支那軍によって無人にされました。
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『南京事件の日々』:12月6日付ミニー・ヴォートリンの日記
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。
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しかし、スマイス調査では「227,300人」の住民が居て、その内「8,530人」が虐殺されたことになっています。
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【スマイス調査・南京地区における戦争被害】
(県名)句容
住民総数 227,300人
死因・暴行の総数 8,530人 (男6,700人・女1,830人)
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実態はどうかと言いますと、日本軍が占領して支那軍が去った後、支那軍に奪われ焼かれ追い払われていた農民たちが句容に戻って来たのですが、またしても支那兵や盗賊が掠奪や虐殺を行なったので日本軍が治安の維持に努めていたようですね。
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私家版の片山兵二著『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』(昭和52年)
以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様。
「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」(347頁)
大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る、湯山の南の句容の状況。
「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。・・・奴らの残忍性にはあきれます。
農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」(349頁〜350頁)
『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著(小学館文庫)より引用
これは メッセージ 7955 (F1789_99 さん)への返信です.