1937年12月、南京農村部の人口も激減
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/12/11 09:38 投稿番号: [7858 / 41162]
>ま、これ自体、そう思っていた人がいたというだけで、実際にはそれよりだいぶ多かった
>というのが事実なわけだが。
いいや、1937年12月13日の南京の都市部の人口は約20万人で間違いなく、どんなに多く見積もっても25万人。
>するとなにかい、住民のほとんどが原居住地に残っていたのは
>たまたまスマイス調査隊の踏査した範囲だけで、それ以外の地域には
>全く人はいなかったんだ、ということになるな。
支那軍の「焦土作戦(戦術)」「清野作戦」によって多くの住居そのものが消滅したんだ。
以前、家が建ち並んでいた所は「清野」「焦土」になってしまって何もないのだからスマイス調査隊は素通りしたんだろ。
>作戦としての焼却が行われたのは、半径16キロ圏内の主要街道沿い、
>湯山方面はそれより幾分広い範囲だから、江寧県の何分の一かの地域の、
>そのまた何分の一か、だろうな。
>調査地域全体で言えば1/10よりもはるかに少ない面積だろうな。
>何十万もの難民が出たとも思えない。
思えるだろ。
支那軍によって「清野」「焦土」にされたのは、南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家だろ?
大都市の近郊や周辺地域というのは、市街地の周囲なら近ければ近い程多くの住居が在るものだし、市街地から少し離れれば殆ど道路沿いにしか住居はないものだ。
支那軍によって「清野」「焦土」にされた面積が調査地域全体1/10でも、元々そこに居住していた人口は1/10より遥かに多かったんだよ。
更に焼かれなくても逃げ出した者だって沢山いただろ。
>逆に、こういう推定をするときは、その中のかなりの人が城内に逃げ込んだことに、
>なることも忘れてはいけないね。
それも含めて、1937年12月13日の南京城内の人口は、10万人〜25万人。
(参考)
―――――――――――――――――
「清野作戦」とは、侵攻してくる日本軍の遮蔽物に使われる可能性のある建物を全て焼却してしまう、つまり焼野原作戦である。同作戦は、中支那方面軍が「注意事項」を下達したちょうどその日(7日)から始められ、9日までつづけられた。中国軍は南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径十六キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。この作戦により住む家を焼失させられた多くの農民と市民が、なけなしの家財と道具と食料をもって城内の南京難民区(南京安全区。The Nanking Safety Zone)に殺到する。
『南京事件』笠原十九司著P120
これは メッセージ 7857 (ja2047 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/7858.html