Re: 支那で闇に葬り去られた歴史
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/10/31 01:16 投稿番号: [7625 / 41162]
>日本と支那の戦争中、支那共産党は逃げ回ってばかりいて日本と戦っていた国民党の足を裏で引っ張っていたこと。
そのとおりです。
訒小平も語っていました。
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元陸軍で自衛隊の将官もつとめた人が5、6人で訪中し、北京の日本大使館を訪れた。何日もしないうちに一行がすっ飛んできて、予期もしなかった訒小平との会見が実現し、しかも大変な内容のことを発言したのでお耳に入れたいというのである。
日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、訒小平は発言をさえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思っていませんよ」と切り出した。あっけにとられた一行を前にした訒小平の説明はこうだった。
「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」
西安に旅行したとき、周恩来が隠れていた地下指令室を見学した時のことを思い出した。展示されていた古い雑誌に、日本軍が蒋介石軍を破って南京に迫ってゆく様子を「形勢好」と表現してあった。「形勢はいいぞ」という意味だ。当時は「へんなことが書いてある」といった程度の認識だったが、国共合作で友軍になったはずの蒋介石軍が負けていて「いい」ということもなかろうにと考えた。
とにかく1936年秋の西安事件までは、蒋介石は日本とことを構えるより、共産党制圧を第一目標にしていた。それが西安事件で順番が逆転する。そうしなかったら捕らわれの身だった蒋介石は殺されていただろう。
http://www.yorozubp.com/9806/980606.htm1998年06月06日(土)
伴
正一
これは メッセージ 7621 (devjlsadvocate_2_1999 さん)への返信です.
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