追軍売春婦 2
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/10/19 23:28 投稿番号: [7594 / 41162]
(以下は、エンジョイコリア翻訳掲示板より)
私の知り合いの老女性(元慰安婦)から聞いた話です。メモ等、記録しなかったので、一部おかしい所があるかもしれませんが、読み流してください。
私(その女性)は、北陸地方の農村で生まれました。家は農家で、四女でした。義務教育がありましたが、家の仕事があるため、あまり通うことができませんでした。
14歳の時飢饉が起こり、口減らしのために住み込みの仕事を見つけ、金沢市に移りました。しかし、その家も3年で没落したため、実家に戻りました。
18歳の時、「簡単な仕事でものすごく儲かる」と言われ、前金も貰ったので、その仕事に行くことにしました。斡旋した人は日本語が上手ではなかったので、朝_鮮人だと思います。
仕事場に行くと、明らかに「遊郭(売春宿)」で、私も淫らな薄着に着替えるように言われました。「だまされた」と気付いても遅かったです。そのうち斡旋した人(群長と呼ぶように言われました)と一緒に「社長」と名乗る人が来ました。どうやら、群長の上司らしかった。社長も朝_鮮人のようだった。その社長が「売り物になるか具合を確かめる」と言って私を無理やり抱きました。血が出ました。涙が止まりませんでした。「仕事」を嫌がると、食事を減らされたり、殴られたりすることもありました。
1年ほど後、社長が「お前達を戦地に連れて行く。兵士相手の方が金になる」と言いました。数日後、汽車と船に乗って南に向かいました。どこに行くのか群長に聞いたら、「そんなことは知らなくていい」と殴られた。
新しい「仕事場」らしいところに到着すると、「軍医」と名乗る人が「身体検査」をしました。どうやら、兵士に性病をうつされないための措置らしい。「仕事」している時も、定期的に身体検査がありました。
「仕事」はとても快適に行えました。警備兵さんも入口で警備してくれたので、泥酔した兵士さんが無理やり迫ってきても、警備兵さんがつまみ出してくれたので、「いやな仕事」をしなくてよかったからです。
兵隊さんたちも、とても優しかったです。体のつながりよりも心の安らぎを求めていた人も多くて、「時間いっぱい話しをするだけ」だったり、「慰問袋」をプレゼントしてくれた兵隊さんもいました。朝_鮮人の「お仲間」もたくさんいました。彼女達も「うちの社長は強欲で女を殴ることしかしない。日本軍が社長だったら良かったのに」といって笑っていました。仲良くなった兵隊さんと「婚約した朝_鮮お仲間」もいました。
日本が負け始め、敵の攻撃が迫ってきたので、私達も内地に帰ることになりました。でも、飛行機の攻撃で線路が破壊されたので、遠くの駅まで歩いていくことになりました。その駅から列車に乗ろうとしたら、敵の攻撃が始まりました。物資と兵隊さんと、兵隊じゃない私達を乗せて出発するはずでしたが、攻撃で最後の貨物車が壊れたので、乗れない人が出ました。社長と群長は、私達を押しのけて列車に乗り込みました。私は乗れないはずだったのですが、内地に帰るはずの兵隊さんが私の代わりに戦地に残ってくれました。私は「必ず家族に届けるから、何か預けて欲しい」と言うと、お守りをくれました。
敵の攻撃で、私達は散り散りになり、命からがら内地に帰ることができました。社長と群長は、敵の攻撃で死んだようです。
戦後、私は約束を果たすため、兵隊さんのお守りを届けに行きました。その兵隊さんは戦死していましたが、復員した弟さんが出迎えてくれました。
何度か会って話をした後、その弟さんが私に求婚してきました。私は「汚れた女だから」と断ったのですが、「兄が命を賭けて守った女性です。私はあなたに幸せになって欲しい」と言われて、承諾しました。
今、「従軍慰安婦」と称して日本政府から金をせびる朝_鮮人が多いけど、慰安婦を虐待したのは鮮人女衒であって、日本軍ではありません。文句があるなら、今の韓国政府に言いなさいと、叱りたいですね。
私の聞いた話が全て正しいとは思わない。戦後60年、美化された記憶もあるだろう。しかし、なぜ日本人慰安婦と韓国人慰安婦の証言がここまで食い違うのか。まるで「日本を貶める何らかの政治的思惑」が動いているとしか思えない。
韓国人たちよ、「ハルモニの言葉」を一度疑いなさい。そうでなければ、「歴史の真実」は見えてこないだろう。
私の知り合いの老女性(元慰安婦)から聞いた話です。メモ等、記録しなかったので、一部おかしい所があるかもしれませんが、読み流してください。
私(その女性)は、北陸地方の農村で生まれました。家は農家で、四女でした。義務教育がありましたが、家の仕事があるため、あまり通うことができませんでした。
14歳の時飢饉が起こり、口減らしのために住み込みの仕事を見つけ、金沢市に移りました。しかし、その家も3年で没落したため、実家に戻りました。
18歳の時、「簡単な仕事でものすごく儲かる」と言われ、前金も貰ったので、その仕事に行くことにしました。斡旋した人は日本語が上手ではなかったので、朝_鮮人だと思います。
仕事場に行くと、明らかに「遊郭(売春宿)」で、私も淫らな薄着に着替えるように言われました。「だまされた」と気付いても遅かったです。そのうち斡旋した人(群長と呼ぶように言われました)と一緒に「社長」と名乗る人が来ました。どうやら、群長の上司らしかった。社長も朝_鮮人のようだった。その社長が「売り物になるか具合を確かめる」と言って私を無理やり抱きました。血が出ました。涙が止まりませんでした。「仕事」を嫌がると、食事を減らされたり、殴られたりすることもありました。
1年ほど後、社長が「お前達を戦地に連れて行く。兵士相手の方が金になる」と言いました。数日後、汽車と船に乗って南に向かいました。どこに行くのか群長に聞いたら、「そんなことは知らなくていい」と殴られた。
新しい「仕事場」らしいところに到着すると、「軍医」と名乗る人が「身体検査」をしました。どうやら、兵士に性病をうつされないための措置らしい。「仕事」している時も、定期的に身体検査がありました。
「仕事」はとても快適に行えました。警備兵さんも入口で警備してくれたので、泥酔した兵士さんが無理やり迫ってきても、警備兵さんがつまみ出してくれたので、「いやな仕事」をしなくてよかったからです。
兵隊さんたちも、とても優しかったです。体のつながりよりも心の安らぎを求めていた人も多くて、「時間いっぱい話しをするだけ」だったり、「慰問袋」をプレゼントしてくれた兵隊さんもいました。朝_鮮人の「お仲間」もたくさんいました。彼女達も「うちの社長は強欲で女を殴ることしかしない。日本軍が社長だったら良かったのに」といって笑っていました。仲良くなった兵隊さんと「婚約した朝_鮮お仲間」もいました。
日本が負け始め、敵の攻撃が迫ってきたので、私達も内地に帰ることになりました。でも、飛行機の攻撃で線路が破壊されたので、遠くの駅まで歩いていくことになりました。その駅から列車に乗ろうとしたら、敵の攻撃が始まりました。物資と兵隊さんと、兵隊じゃない私達を乗せて出発するはずでしたが、攻撃で最後の貨物車が壊れたので、乗れない人が出ました。社長と群長は、私達を押しのけて列車に乗り込みました。私は乗れないはずだったのですが、内地に帰るはずの兵隊さんが私の代わりに戦地に残ってくれました。私は「必ず家族に届けるから、何か預けて欲しい」と言うと、お守りをくれました。
敵の攻撃で、私達は散り散りになり、命からがら内地に帰ることができました。社長と群長は、敵の攻撃で死んだようです。
戦後、私は約束を果たすため、兵隊さんのお守りを届けに行きました。その兵隊さんは戦死していましたが、復員した弟さんが出迎えてくれました。
何度か会って話をした後、その弟さんが私に求婚してきました。私は「汚れた女だから」と断ったのですが、「兄が命を賭けて守った女性です。私はあなたに幸せになって欲しい」と言われて、承諾しました。
今、「従軍慰安婦」と称して日本政府から金をせびる朝_鮮人が多いけど、慰安婦を虐待したのは鮮人女衒であって、日本軍ではありません。文句があるなら、今の韓国政府に言いなさいと、叱りたいですね。
私の聞いた話が全て正しいとは思わない。戦後60年、美化された記憶もあるだろう。しかし、なぜ日本人慰安婦と韓国人慰安婦の証言がここまで食い違うのか。まるで「日本を貶める何らかの政治的思惑」が動いているとしか思えない。
韓国人たちよ、「ハルモニの言葉」を一度疑いなさい。そうでなければ、「歴史の真実」は見えてこないだろう。
これは メッセージ 7593 (deliciousicecoffee さん)への返信です.