済南事件
投稿者: guckblue 投稿日時: 2005/07/27 23:05 投稿番号: [6768 / 41162]
>中国の教科書では済南事件を
>
>『1928年(昭和3年)、日本帝国主義は(蒋介石の)国民政府の北伐を阻止するため、公然と出兵して済南を占領し、中国の兵士や民間人6,000人余りを殺し、「済南
>虐殺事件」をひき起こした。』
>と記載してるらしいが、現実には虐殺されたのは日本人居留民であり、その検死写真が↓
> ------------------------------
>■済南事件で中国人に虐殺された日本人被害者の検死写真を・・・(被害者は日本の履物である足袋を履いてます。)
>この写真は1928年に青島新報から出版された「山東省動乱記念写真帖」に掲載された写真です。
>「済南事件」の被害者の写真です。
>
>http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/horrible.htm
>
> --------------------------
>>日本軍がかつて中国で行ったこともきっちりと日本の教 科書に記載して日本の子どもたちに教えることが、未来に同じ過ちを繰り返さないため に必要なのだと考えています。
>
>
>中国軍や民衆が日本人居留民におこなったことを、きっちり中国の教科書に記載して中国の子供達に教える事が、現在の反日騒乱デモのような過ちを起こさない為にも必要なのだと考えます。
>この済南事件の検死写真を中国では「731部隊による人体実験証拠写真」として加害を被害に摩り替えてるらしいが、捏造歪曲も極まれり、というところですね。
この済南事件であるが、以下のような親切なページがある。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/sainan.html
これによると、
====
日本軍の死者は十名、在留邦人の犠牲者は十二名というから、そう大した事件ではなかったといっていい。むしろ、このとき日本軍が、国民政府の特派交渉員であった蔡公時をはじめ多くの公署職員を殺害して、中国側の憤激を招いた点のほうが重大であった。
しかしこの済南事件にたいする田中内閣の措置はまったく血迷っていた。政府は五月八日には早くも第三次出兵をきめ、九日には第三師団に動員令をくだし、青島に出発させた。国内では中国兵の暴虐を誇大に宣伝し、国民の敵愾心を煽動した。そして現地では、中国側にたいし十二時間の期限つきの最後通牒をつきつけたうえ、九日・十日の両日、済南の総攻撃をおこなったのである。ここでは容赦のない砲撃が市民にくわえられたため、中国側は三六〇〇の死者と一四〇〇の負傷者をだし、済南はほとんど壊滅してしまった。
===
だそうである。
他にも興味深い資料があげられている。しかし、済南事件は日本の教科書に載っているのだろうか。ただ純粋に知らないので知っている人は教えて欲しい。
>
>『1928年(昭和3年)、日本帝国主義は(蒋介石の)国民政府の北伐を阻止するため、公然と出兵して済南を占領し、中国の兵士や民間人6,000人余りを殺し、「済南
>虐殺事件」をひき起こした。』
>と記載してるらしいが、現実には虐殺されたのは日本人居留民であり、その検死写真が↓
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>■済南事件で中国人に虐殺された日本人被害者の検死写真を・・・(被害者は日本の履物である足袋を履いてます。)
>この写真は1928年に青島新報から出版された「山東省動乱記念写真帖」に掲載された写真です。
>「済南事件」の被害者の写真です。
>
>http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/horrible.htm
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>>日本軍がかつて中国で行ったこともきっちりと日本の教 科書に記載して日本の子どもたちに教えることが、未来に同じ過ちを繰り返さないため に必要なのだと考えています。
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>中国軍や民衆が日本人居留民におこなったことを、きっちり中国の教科書に記載して中国の子供達に教える事が、現在の反日騒乱デモのような過ちを起こさない為にも必要なのだと考えます。
>この済南事件の検死写真を中国では「731部隊による人体実験証拠写真」として加害を被害に摩り替えてるらしいが、捏造歪曲も極まれり、というところですね。
この済南事件であるが、以下のような親切なページがある。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/sainan.html
これによると、
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日本軍の死者は十名、在留邦人の犠牲者は十二名というから、そう大した事件ではなかったといっていい。むしろ、このとき日本軍が、国民政府の特派交渉員であった蔡公時をはじめ多くの公署職員を殺害して、中国側の憤激を招いた点のほうが重大であった。
しかしこの済南事件にたいする田中内閣の措置はまったく血迷っていた。政府は五月八日には早くも第三次出兵をきめ、九日には第三師団に動員令をくだし、青島に出発させた。国内では中国兵の暴虐を誇大に宣伝し、国民の敵愾心を煽動した。そして現地では、中国側にたいし十二時間の期限つきの最後通牒をつきつけたうえ、九日・十日の両日、済南の総攻撃をおこなったのである。ここでは容赦のない砲撃が市民にくわえられたため、中国側は三六〇〇の死者と一四〇〇の負傷者をだし、済南はほとんど壊滅してしまった。
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だそうである。
他にも興味深い資料があげられている。しかし、済南事件は日本の教科書に載っているのだろうか。ただ純粋に知らないので知っている人は教えて欲しい。
これは メッセージ 6766 (akanbei_21c さん)への返信です.