>>asdll58さん宛 西洋人の日記や手紙?
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/16 00:18 投稿番号: [6569 / 41162]
>そういうこともあったかもしれません。しかし、そういうこともことの一面ですべてではなかったかもしれません。
小津安二郎の『撮影に就ての《ノオト》』に出てくる部隊長の行為は、明らかな軍規違反であり、憲兵隊に通報されれば処罰(死刑?)されるのですよ。
わざわざ部隊全員を集合させて、部隊全員が見ている前で行ったことの不自然さを裏付けるには十分な宣誓口供書だと思いますが。
>当時安全区の面倒を見ていた西洋人の日記や手紙をみる(引用で)と、ほとんど正反対のことが書かれていますね。彼らがしめしあわせてそのようなことを書いたとも思われませんが。
「安全区の面倒を見ていた西洋人の日記や手紙」とは、具体的に、誰のどのような日記や手紙のことを言っていますか?
ちなみに、下のサイトなどは、もう読みましたか?
南京の第三国人(民国26年、南京のバテレン)
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa03/nank4.htm(一部抜粋)
南京陥落時、南京にいた第三国人にも当時の白人特有のアジア観があった。
とりわけ日本軍に対しては強烈な反感と思い込みを抱いていた。
その上、キリスト教関係者には
南京における全ての暴虐行為を日本軍の仕業にしなければならない事情があった。
(略)
支那中央軍はドイツ軍装備だったが、雑軍は一見日本兵の服装にも似ている。
通じない言葉を話しながら掠奪・強姦・放火など暴虐を働く者がいたとしても、それは日本兵とは限らない。むしろ、戦場での伝統を考えれば支那兵に間違いないであろう。
とくに残留した白人達が日本人と支那人の区別ができたとは考えられない。
ラーベの日記にもパンツをはいた(褌ではなく)日本兵とか支那兵に化けた(とラーベは断定)日本兵とか、平気で銃剣を置いたまま逃げる不思議な日本兵が登場する。
(日本兵は銃剣を無くしたら重営倉くらいでは済まない)
(略)
昭和13年2月4日、上海のティンパレーから南京のベイツあての書簡。(概略)
「フィッチが持参したマギーのフィルムを見て妙案を考えています。フィッチを米国に帰らせ役人や政治家にこのフィルムを見せれば委員会の評価は上がり、アメリカ世論と政治家を動かすことができるでしょう。」
(略)
東京裁判でも相手にされずマギーフィルムはいつの間にか埋もれてしまった。平成3年に発見されたというか思い出されたのだが、大虐殺の証拠と言うには辛いものがある。
難民たちは笑顔で写っていてこれでは逆効果である。
これは メッセージ 6547 (asdll58 さん)への返信です.
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