食糧調達は日本からの補給が原則も…
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/06 21:13 投稿番号: [5879 / 41162]
>いら〜〜〜っさ〜〜〜〜い〜〜〜!
おまえの嘘の最後の砦である食料調達に伴なう大虐殺がなかったことが判明して、とうとう壊れてしまったようだな。
日本軍の食糧は、日本本土からの補給を原則としたが、補給が不如意になって現地調達する際にも、支那軍のように強奪するのではなく、カネを払って調達した。
不如意の補給・給養
上海〜南京間約二百里を概ね三十日間で進撃した(追撃発起11月11日前後、南京占領12月13日)。したがって、一日の行程は平均七里であり、当時の軍兵站の常識から見れば、第一線への補給追随が困難な作戦ではなかった。
試みに当時の弾薬・糧秣を見てみたい。各兵士は非常用の携帯口糧三日分(乾パンと米、固形調味料とカン詰)を持っていたが、この携帯口糧は後方から補給途絶した非常の場合、指揮官の命令によらなければ使用できなかった。
歩兵連・大隊には大行李(糧食一日分)、小行李(弾薬)があり、師団輜重兵連隊は通常六ヶ中隊で、歩兵弾薬二ヶ中隊、砲兵弾薬二ヶ中退、糧秣二ヶ中隊(二日分)に編成されていたので、師団では七日分の糧秣を携行していたことになる。
さらに、第一線師団への常続補給をつづけるために、軍には兵站自動車中隊が配属され、上陸基地には兵站補給諸厰が設けられ日本本土と補給線をつないでいた。
『上陸後引き続いて追撃作戦に移った当初は、各師団の追撃隊は、補給給養が意の如くならず、現地物資によったのであるが、南京攻略当時(12月10日以後)は後方兵站も漸く追随していた。
したがって、将兵が飢えのあまり掠奪を行うような状態にはなかったのである。』
これは メッセージ 5871 (yominokuni56 さん)への返信です.
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