「国民党軍の虐殺」の根拠2
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/22 23:49 投稿番号: [5765 / 41162]
>外国人記者が、チャイニーズ軍による南京市民大虐殺の報道をしているというならそのソースをお願いします。
ニューヨーク・タイムズ:ダーディン記者
「首都陥落を前にして支那軍は尚も最後の足掻きに必死になっており、七日も南京市外十マイルの地域内にある全村落に火を放ち、日本軍の進撃に便宜を与えるやうな物はすべて焼払はんとしてゐるため南京市は濛々たる黒煙に包まれてしまった」
「土曜日(11日)には、中国軍による市内の商店に対する掠奪が拡がっていた。住宅には手を触れていなかったし、建物に入るために必要な限りの破壊にとどまっていた。掠奪の目的が食糧と補給物資の獲得にあることは明らかであった。南京の商店は安全区以外では経営者が逃げてしまっていたが、食糧は相当に貯蔵してあった」、「(12日)夕方には退却する中国軍は暴徒と化していた。中国軍は完全に潰滅した。中国軍部隊は指揮官もなく、何が起こったか知らなかったが、ただわかっているのは、戦いが終わり、何とか生きのびねばならぬということだった」
「12.18日及び1.9日付けには、「土曜日には中国兵による市内の商店に対する略奪が広がっていた。目的が食糧と物資の獲得にあることは明らかであった」と記載されている。その一部は安全区内を目指した。大勢の兵隊が軍服を脱ぎ始め、民間人の服を盗んだり、所望した。「平服」を調達出来なかった兵士は軍服を脱ぎ捨て下着だけになる者も居た。
「記者が日曜日の夕方、市内を車で廻ったところ、一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃した。多数の兵が安全区委員会の本部を取り巻いて銃を渡しており、門から構内に銃を投げ入れる者さえあった。安全区の外国人委員たちは投降する兵士を受け入れ、彼等を地区内の建物に収容した」と書かれている。
「退却が始まった十二日夕刻より、日本軍の先頭部隊が到着するまでのおよそ二十時間の間に、ユウ江門から下関に至る地域では、撤退作戦の不手際によって空前未曾有の惨劇が展開され、無数の中国兵士の生命が失われた。この死体の山は、日本軍が入城後片付けるまでの一両日の間は、板を渡して自動車を通さねばならぬほどの惨状であった」
ちなみに(ダーディンが南京にとどまっていた三日間の印象を問われて)、「安全地帯は難民でごったがえしていたが、平和であり、食料はたくさんあるようだった」
これは メッセージ 5764 (n_o_i_s_e_m_a_n さん)への返信です.
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