上海戦から南京攻略、虐殺事件まで、1
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/20 06:30 投稿番号: [5705 / 41162]
1937年8月
13日上海で日中軍交戦開始、(第二次上海事変)
15日 近衛文麿首相「南京政府断乎
声明」を出す、日本海軍機南京を渡洋爆撃する
上海派遣軍を「編組」(司令官
松井石根)
29日南京駐在の欧米5カ国の外交代表、南京空襲に抗議し、爆撃停止を求める抗議書を
日本に提出する 。
南京1937年8月15日
この日午前、南京を離れる最後の在南日本大使館員とその家族、日本人居留民団員が下関の埠頭から汽船で長江を渡り、対岸の浦口から津浦(天津〜浦口)線に乗って青島の向けて出発をした。引き揚げる日本人に対して、中国民衆からの危害を加えられることを懸念した中国国民政府は、特別列車を用意士、護衛兵40名を付け、外交部の係官2名を随行させて不祥事の発生を防いだ。
一行が丁寧に浦口駅から送り出されて、三時間ほど過ぎた午後3時頃鳴り響く空襲警報のサイレンのうなりと響き渡る爆撃機の轟音に恐怖と混乱に落ちていった。雨雲の間から次々と現れる日本海軍機20機は低高度から市内各所の爆弾を投下し始めた。
南京を爆撃したのは海軍木更津航空隊の新鋭機=96式陸上攻撃機20機であった、。
午前9時10分長崎の大村基地を発進士、東シナ海を横断し、台風による悪天候をおして南京まで、洋上約600kmを4時間で飛翔「南京渡洋爆撃」を敢行したのである。
「我海軍機長駆南京へ/空軍根拠地を爆撃す/敵に甚大の損害を与える」
「我海軍機は長躯南京を襲撃/午後2時から3回に渡り南京付近支那空軍基地に多大な損害を与えた」(東京朝日新聞)
「世界戦史 空前の渡洋爆撃」(雑誌日の出(新潮社発行)
南京渡洋爆撃は戦時国際法「開戦に関する条約」1907年ハーグで締結、(日本は1912年に批准、公布中国も当事国)
*「締約国は理由を付したる開戦宣言の形式または条件つき開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭かつ事前の通告無くして、その相互間に戦争を開始すべからざること」と定めている。
日本海軍航空隊は宣戦布告も無しに 中国の首都南京をいきなり渡洋爆撃をしたのはこの「開戦に関する条約」に違反した行為であった。
又、条約付属書「陸戦の法規慣例に関する規則」において第25条防守されない都市の攻撃、防守 せざる都市、村落、住宅、建物はいかなる手段によるもこれを攻撃または砲撃することを得ず」
日本海軍機の南京爆撃は非戦闘員を殺傷、非武装地域への爆弾投下をおこなったことで、同法にも抵触している。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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