公式にルーズベルトの陰謀です
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/15 23:29 投稿番号: [5629 / 41162]
>そうなんですか。
>http://ww1.m78.com/discussion/conspiracy%20%26%20history.html
昨日の英文のサイトもそうですが、殆どが関係のない長文ですね。
そういう場合には関係のある部分を抜粋して貰わないと大変な時間の無駄になります。
1941年8月、大西洋憲章起草のためにルーズベルトとチャーチルはプラセンシア湾に会したが、そのときルーズベルトは、チャーチルに次のように語った。「戦争には参加しよう、だが宣戦はしない。開戦に踏みきる口実をつかむために・・・・・挑発を進めていくのだ
『太平洋戦争とは何だったのか』クリストファー・ソーン著
ルーズベルトの死後、1945年8月から行われた陸海軍の合同査問委につづいて、議会が行った上下両院合同査問会の記録は、米国が真珠湾で受けた損害の「事実と責任」について、ルーズベルト政権の閣僚をふくむ43名の証人喚問、1万5千ページにおよぶ証言記録を公開したが、同査問会報告は、実に21の問題点を突つき出したのであった。
(以下、上下両院合同査問会の報告抜粋引用)
2、(略)
11月29日、ハル国務長官は大統領に覚書を送り、
「議会宛の特別教書(戦争か平和の選択メッセージ)は、日米関係が破局の土壇場に逢着するまで、お出しにならぬほうがより」と勧告した。
特別教書を出すかいなかは、国務省の日米交渉とのかね合いで決定されることとなり、政府は、日本に行動を起こさせる戦術をとった。前期11月26日のハル国務長官の対日最終覚書後の戦術がそれであった。大統領は、特別教書を12月7日まで押さえることにした。
12月6日、13通の「紫・暗号」が大統領に手渡されたとき、ホプキンズは、
「日本側が戦争の機先を制してくることがはっきりしているのに、米国が第1撃を加えて奇襲を予防できぬのは残念です」と、意見を出したとき、大統領は、
「それはできない。われわれは民主主義で平和国民なのだ」と述べ、声を高めて、
「これはありがたい記録になる」と述べたことを、ホプキンズは証言している。またホプキンズは、
「それで、われわれは奇襲を待った」と証言している(筆者はこの対話をホプキンズの記録から引用して前掲した)。
(略)
5、12月7日以前の段階で、ワシントンの政府高官が、ハワイの現地司令官に対して奇襲警戒に関する明確な指示を与えうる立場にあったことについて(筆者省略。与えていない)。
6、日本の戦争意図と戦争計画に関し、陸海軍の情報機関が暗号解読等の方法で奇襲を知っていたことについて。
真珠湾攻撃に関する日本側計画は把握されていた。傍受された日本側の暗号電文―。
「9月24日。東京(筆者註・豊田外相)よりホノルル(喜多長雄総領事)へ。下記のとおり、艦船集結状況を至急報告せよ。一、真珠湾水域を5海域に区分する(筆者省略)。二、戦艦と空母に注目し、投錨中の艦船を報告せよ。岸壁繋留、ブイ繋留、ドック入りのものに分けて報告せよ。岸壁で2列に並んで係留中の艦船名も報告せよ」。
(以下の解読された電文は省略)
同委員会は、ルーズベルト大統領が「日本の第1撃発射」を待っていた男であった、と結論づけているのである。
『ルーズベルト』大森実著(人物現代史・5)、245〜52頁より
歴史学の権威チャールズ・ビアード博士は、終戦間もないー九四八年、米の公式資料に基づいて「ルーズベルト大統領と第二次大戦」の著書を発表した。
この中で博士は日米戦争は好戦大統領の周到な準備で日本を挑発し、仕掛けた謀略、つまり米の侵略戦争であることを痛烈に告発します。この本からルーズベルトは米国民自身と日本国民とを同時に競して、無謀な戦争に突入したのだ、日本は「騙し討ちという騙し」にのせられたのである。
戦後米青年詩人のコーエン氏は、ビアードの本を大学の図書館で読んで仰天。大統領が戦争を仕組み、無実の日本の指導者を処刑したことに心から詫びたいと来日して、巣鴨処刑場跡の記念碑に詣で、次の詩を書き残しました。 〃ああ、アメリカよ、法を曲げ、正義を踏みにじった ジョージ・ワシントン、アブヲハム・リンカーン 今や、 黄泉にて、汝の非道に、涙す〃 と。
「大日本帝国の最期:全参幕(約45分)」【フラッシュ】
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-1.html
>http://ww1.m78.com/discussion/conspiracy%20%26%20history.html
昨日の英文のサイトもそうですが、殆どが関係のない長文ですね。
そういう場合には関係のある部分を抜粋して貰わないと大変な時間の無駄になります。
1941年8月、大西洋憲章起草のためにルーズベルトとチャーチルはプラセンシア湾に会したが、そのときルーズベルトは、チャーチルに次のように語った。「戦争には参加しよう、だが宣戦はしない。開戦に踏みきる口実をつかむために・・・・・挑発を進めていくのだ
『太平洋戦争とは何だったのか』クリストファー・ソーン著
ルーズベルトの死後、1945年8月から行われた陸海軍の合同査問委につづいて、議会が行った上下両院合同査問会の記録は、米国が真珠湾で受けた損害の「事実と責任」について、ルーズベルト政権の閣僚をふくむ43名の証人喚問、1万5千ページにおよぶ証言記録を公開したが、同査問会報告は、実に21の問題点を突つき出したのであった。
(以下、上下両院合同査問会の報告抜粋引用)
2、(略)
11月29日、ハル国務長官は大統領に覚書を送り、
「議会宛の特別教書(戦争か平和の選択メッセージ)は、日米関係が破局の土壇場に逢着するまで、お出しにならぬほうがより」と勧告した。
特別教書を出すかいなかは、国務省の日米交渉とのかね合いで決定されることとなり、政府は、日本に行動を起こさせる戦術をとった。前期11月26日のハル国務長官の対日最終覚書後の戦術がそれであった。大統領は、特別教書を12月7日まで押さえることにした。
12月6日、13通の「紫・暗号」が大統領に手渡されたとき、ホプキンズは、
「日本側が戦争の機先を制してくることがはっきりしているのに、米国が第1撃を加えて奇襲を予防できぬのは残念です」と、意見を出したとき、大統領は、
「それはできない。われわれは民主主義で平和国民なのだ」と述べ、声を高めて、
「これはありがたい記録になる」と述べたことを、ホプキンズは証言している。またホプキンズは、
「それで、われわれは奇襲を待った」と証言している(筆者はこの対話をホプキンズの記録から引用して前掲した)。
(略)
5、12月7日以前の段階で、ワシントンの政府高官が、ハワイの現地司令官に対して奇襲警戒に関する明確な指示を与えうる立場にあったことについて(筆者省略。与えていない)。
6、日本の戦争意図と戦争計画に関し、陸海軍の情報機関が暗号解読等の方法で奇襲を知っていたことについて。
真珠湾攻撃に関する日本側計画は把握されていた。傍受された日本側の暗号電文―。
「9月24日。東京(筆者註・豊田外相)よりホノルル(喜多長雄総領事)へ。下記のとおり、艦船集結状況を至急報告せよ。一、真珠湾水域を5海域に区分する(筆者省略)。二、戦艦と空母に注目し、投錨中の艦船を報告せよ。岸壁繋留、ブイ繋留、ドック入りのものに分けて報告せよ。岸壁で2列に並んで係留中の艦船名も報告せよ」。
(以下の解読された電文は省略)
同委員会は、ルーズベルト大統領が「日本の第1撃発射」を待っていた男であった、と結論づけているのである。
『ルーズベルト』大森実著(人物現代史・5)、245〜52頁より
歴史学の権威チャールズ・ビアード博士は、終戦間もないー九四八年、米の公式資料に基づいて「ルーズベルト大統領と第二次大戦」の著書を発表した。
この中で博士は日米戦争は好戦大統領の周到な準備で日本を挑発し、仕掛けた謀略、つまり米の侵略戦争であることを痛烈に告発します。この本からルーズベルトは米国民自身と日本国民とを同時に競して、無謀な戦争に突入したのだ、日本は「騙し討ちという騙し」にのせられたのである。
戦後米青年詩人のコーエン氏は、ビアードの本を大学の図書館で読んで仰天。大統領が戦争を仕組み、無実の日本の指導者を処刑したことに心から詫びたいと来日して、巣鴨処刑場跡の記念碑に詣で、次の詩を書き残しました。 〃ああ、アメリカよ、法を曲げ、正義を踏みにじった ジョージ・ワシントン、アブヲハム・リンカーン 今や、 黄泉にて、汝の非道に、涙す〃 と。
「大日本帝国の最期:全参幕(約45分)」【フラッシュ】
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-1.html
これは メッセージ 5614 (asdll58 さん)への返信です.