南京虐殺は嘘33 支那軍による虐殺3
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/09 01:16 投稿番号: [5441 / 41162]
●上海における支那軍の細菌戦
1925年のジュネーブ議定書以降、世界で最初に細菌戦を行ったのは支那軍である。
1937年、上海戦で支那軍が退却したあと、日本軍がコレラで多数の死者を出した。
「敵が仕掛けて行ったのでは?」との噂も広まった。
9月2日、支那軍は化学兵器弾を司令部近くに撃ち込んだ。
司令官の松井自身、「石鹸水泡のようなものが広がった」のを見ている。
松井は日高参事官に、「上海在留邦人に、なんとか水を運んできて欲しい。」と頼んだ。
水不足は予想外のことだった。
コレラ患者はその後も増え続け、9月21日には患者数三百余名、死亡者九十名に及ぶ。
しかし、病院が不足しており、患者の隔離に苦悩した。
当時は治療薬も不足しており、患者を敷ワラの上に横臥させるのみだった。
日本軍は8月の上陸直後からコレラに直撃されている。
日本軍が上陸する前には支那人等が住んでいた。
そのときまで疫病は発生していない。
支那軍が逃げて、日本軍が上陸した途端に、コレラ・赤痢が発生した。
日本軍の船の中では発生していない。
自然発生的疫病にしては、不自然である。
これらの事実からして、支那人が飲料水に細菌を投じたり、農作物に細菌を注射して後退したことは明白である。
(参考)
―――――――――――――――――――
支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた「敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査」(内藤裕史編・解説「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、昭和十二年から昭和十五年にかけて、中国軍による毒 ガス戦の事例は十三件、細菌戦の事例は二十件であった。
右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、被害、概要を一覧 表で記録している。
例えば、昭和十二年九月七日、宝山城付近にて中国軍はコレラ菌 を井戸に投入し、このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。
また、昭和十三年七月二十六日、九江においても同様の理由で日本軍百二十九名、中国人民五百名の罹患者を出している。
また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六 日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。
「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」信夫淳平博士
(「昭和史研究會報」中村粲/第39、40)
―――――――――――――――――――
井戸水にはアメーバ赤痢菌がうようよしているほか、9月に上海戦線でコレラ患者が多発したのは、中国軍の細菌戦による疑いが濃厚である。
「支那軍ノ指令ヲ奪取セルトコロ、其ノ中ニ井戸水ヲ飲用スベカラズトノ指示アリ。則チ敵ガ井戸ニ細菌を投ゼシモノト察せられる」
『日中戦争』(文庫本第4巻)児島襄著
―――――――――――――――――――
●上海から南京へ敗走する支那軍の行い
ラーベ:
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。
孫元良:
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。
徐永昌の日記:
11月26日、聞くところによれば、蒋介石は、不安分子が栗水、栗陽などで強奪・強盗などを働いたと聞いて激怒したとの事。
1925年のジュネーブ議定書以降、世界で最初に細菌戦を行ったのは支那軍である。
1937年、上海戦で支那軍が退却したあと、日本軍がコレラで多数の死者を出した。
「敵が仕掛けて行ったのでは?」との噂も広まった。
9月2日、支那軍は化学兵器弾を司令部近くに撃ち込んだ。
司令官の松井自身、「石鹸水泡のようなものが広がった」のを見ている。
松井は日高参事官に、「上海在留邦人に、なんとか水を運んできて欲しい。」と頼んだ。
水不足は予想外のことだった。
コレラ患者はその後も増え続け、9月21日には患者数三百余名、死亡者九十名に及ぶ。
しかし、病院が不足しており、患者の隔離に苦悩した。
当時は治療薬も不足しており、患者を敷ワラの上に横臥させるのみだった。
日本軍は8月の上陸直後からコレラに直撃されている。
日本軍が上陸する前には支那人等が住んでいた。
そのときまで疫病は発生していない。
支那軍が逃げて、日本軍が上陸した途端に、コレラ・赤痢が発生した。
日本軍の船の中では発生していない。
自然発生的疫病にしては、不自然である。
これらの事実からして、支那人が飲料水に細菌を投じたり、農作物に細菌を注射して後退したことは明白である。
(参考)
―――――――――――――――――――
支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた「敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査」(内藤裕史編・解説「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、昭和十二年から昭和十五年にかけて、中国軍による毒 ガス戦の事例は十三件、細菌戦の事例は二十件であった。
右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、被害、概要を一覧 表で記録している。
例えば、昭和十二年九月七日、宝山城付近にて中国軍はコレラ菌 を井戸に投入し、このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。
また、昭和十三年七月二十六日、九江においても同様の理由で日本軍百二十九名、中国人民五百名の罹患者を出している。
また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六 日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。
「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」信夫淳平博士
(「昭和史研究會報」中村粲/第39、40)
―――――――――――――――――――
井戸水にはアメーバ赤痢菌がうようよしているほか、9月に上海戦線でコレラ患者が多発したのは、中国軍の細菌戦による疑いが濃厚である。
「支那軍ノ指令ヲ奪取セルトコロ、其ノ中ニ井戸水ヲ飲用スベカラズトノ指示アリ。則チ敵ガ井戸ニ細菌を投ゼシモノト察せられる」
『日中戦争』(文庫本第4巻)児島襄著
―――――――――――――――――――
●上海から南京へ敗走する支那軍の行い
ラーベ:
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。
孫元良:
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。
徐永昌の日記:
11月26日、聞くところによれば、蒋介石は、不安分子が栗水、栗陽などで強奪・強盗などを働いたと聞いて激怒したとの事。
これは メッセージ 5397 (deliciousicecoffee さん)への返信です.