中国人が何故怒るのか?3.人民日報
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/04/17 22:06 投稿番号: [5010 / 41162]
戦後、ニュルンベルクは「軍事裁判の街」になった。ニュルンベルク国際軍事裁判は全世界やドイツ人にもナチスの極悪非道で許し難い悪の姿をはっきりと見せつけた。しかし今から見ると、それは反省の第1段階に過ぎなかった。なぜそれほど多くの普通の庶民が意図的にナチスの追随者になったのか、進んで残忍悲道な大虐殺に手を染めたのか。「洗脳と恐怖」というこのテーマ自身が一つの警告である。ナチスには恐怖の一面があるだけではなく、ある種の十分に人々の心を引き付ける力があった。恐怖の力はまさにこうした洗脳力でもたらせるのだ。ドイツ人の反省は戦犯裁判をこうして乗り越え、人間性と民族文化の深い所へと向かった。それは当時ナチスへの追随に熱狂した多くの普通のドイツ人に心からの悔悟の気持ちを生んだ。まさにこうした反省があって、ドイツはナチス戦犯の追跡と裁判を今なお一貫して続けている。
翻って日本を見ると、戦後の反省はこのような深い局面までにははるかに及んでいない。日本のファシズム軍国主義はドイツのナチズムと比べて勝るとも劣らないと言える。あのように普通の日本人の心を引き付けた洗脳力もドイツのナチズムと比べて大差はない。
ファシズムが惑わす狂気と残虐性はもちろん十分に恐ろしいものである。だがもっと恐ろしいのは、第二次世界大戦終結から60周年がたつ今日、当時暴力を振るった者が狂気と残虐性を生んだ原因に対して相変わらず深く認識していないことである。原子爆弾の被爆は日本人の「洗脳と恐怖」への反省と引き換えられ、彼らに歴史の傷跡を覆い隠す口実をたやすく与えてしまい、まるで数十年前の狂気はもともと彼らのものではないかのようだ。これがまさに一部の日本人が今日依然として戦犯の功績や人徳をたたえる原因の一つだ。彼らは絶えず教科書改定で歴史を歪曲し、日本の一般市民の中にある一種の被害者意識を利用している。そうした一般市民の中にある被害者意識は右翼勢力が日増しに猛威を振るう社会的基盤となりつつある。国民全体の深い反省がなければ、心からの謝罪もあり得ず、右翼を誘発する土壌を一掃することもできない。かつて蹂躙されて悲惨な目に遭ったアジア人民は日本の将来にますます憂慮せざるを得ない。(筆者は前人民日報国連駐在記者)
(編集ZX)
「人民網日本語版」2005年4月15日
これは メッセージ 5009 (yominokuni56 さん)への返信です.
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