難民区は安泰、感謝状を受け取る
投稿者: odenndaisuki888 投稿日時: 2005/03/07 23:02 投稿番号: [4673 / 41162]
(1)婦女子の殺害なし
南京在住の婦人・子供を含む非戦闘員は、すべて国際委員会の管理する安全区(難民区)内に居住していた。
日本軍は南京占領の12月13日、この地区の掃討を歩兵第7連隊(金沢・伊佐一男大佐)に担当せしめた。
第7連隊長伊佐大佐は、翌14日、この難民区の出入り口10数ヶ所に歩哨を立て、無用の者の出入りを厳禁した。
歩兵第36連隊長の脇坂次郎大佐が難民区内に立ち入ろうとしたが歩哨にとがめられて入ることが出来なかった――ということを脇坂大佐は東京裁判で証言している(極東国際軍事(東京)裁判速記録・・・第309号22・11・6)。
大佐でさえも入ることを拒否されたところをみると極めて厳重であったとみてよかろう。
松井軍司令官の厳命により、ここには一発の砲弾も撃ち込まれておらず、空爆もなかった。放火もなく、従って1件の火災事故も起きていない。
文字通りの安全区であった。
一部の不心得者による、強姦・暴行・窃盗事件等が、国際委員会の公文書の中に記録されているが、婦人・子供の殺害事件等は全然起きていない。
そういう記録もない。又、紅卍字会の埋葬死体一覧表の中にも、婦人・子供は皆無にちかい。
(2)難民区からの感謝状
ことのついでにもう一つ難民区について紹介したい。
大量戦死者を出した激戦地下関(シャーカン)から北へ1.8キロの所に宝塔橋街(ほうとうきょうがい)という町がある。
この街の保国寺には、6、7千人の難民が蝟集(いしゅう)していた。
http://www.history.gr.jp/nanking/reason05.html
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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