3・1事件はテロ事件だった
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/03/01 23:41 投稿番号: [4650 / 41162]
3・1独立運動は併合前にやりたい放題悪事を働いていた両班などが、併合後に法治主義になって農民等からの搾取が出来なくなったため、共産主義者などと大同団結して実現した。
だが、やがてバラバラになり、臨時政府がシベリアや上海などだった。
その後、それぞれの臨時政府は戦後の南北分断まで互いに抗争を続ける始末・・・
過激派が海外に去り、朝鮮は安全になったので、憲兵制度を廃止しました。
3・1事件の死者は日本人が8人で、朝鮮人は500人余り、3年以上の禁固刑となったのはたったの80人。
大半の普通の朝鮮人は大人しくしていた。
3・1事件はテロ事件だった。
―――――――――――――――――――
日本の憲兵六名と警察官二名を殺害し、また放火等による官公署建築物破壊をなした朝鮮人の被疑者に対して、朝鮮固有の拷問は皆無であった。さらに証拠主義に徹して、多くの被疑者が無罪放免となった。さらに死刑も無期も一人としてなく軽罰の判決しか出さなかった。とくに、四月三日に水原郡雨汀面(村)の花樹里警察官駐在所(日本人巡査一名、朝鮮人巡査補三名が勤務)の川端豊太郎巡査を石と棍棒で殺した上に(創痕51箇所)、耳と鼻をそぎおとし陰具を切断した惨殺事件があったのに、裁判は「報復」的なことは一切しなかった。
官公署の被害は、朝鮮総督府の調査によれば次のようなものであった。面事務所(村役場)の全壊十九.うち放火によるもの五。窓硝子破壊、器物・書類の焼却など村役場の一部破壊二十八.警察署・警察官駐在所・憲兵分隊・同分遣所・同駐在所については全壊十六ヶ所、一部破壊二十九ヶ所。郵便局の全壊二、一部破壊九。
(韓国の教科書は朴殷植の『独立運動之血史』の記述に基づいて、総督府による三・一事件の弾圧を糾弾している)(韓国の教科書では)監獄(刑務所)に収監された人数は「5万人」と、実際の6倍にしている。
朝鮮全土に当時、刑務所は監獄8、分監12しかなかった。
三・一事件で収監されたのは約8500名で、定員オーバーであった。
「5万人」という人数の収監能力などは物理的に途方もない。
入監者数については、朝鮮総督府が正確に把握しており、1919年5月10日現在、8437名であった。
韓国の教科書は出鱈目な数字を書いている。
ホラー小説の類である『独立運動之血史』が何ら信憑性がないのは、次の記述一つだけで充分だろう。
両手・両足を切断された人間が即死しない、そればかりか手がないのに自分で衣服を着ることができる、足がないのに自分で歩いて帰宅できる、というのである。
また、手足を切られたあと3日間も食事を与えられずとも元気で官憲を罵倒しつづけたという。
マンガでもここまでの描写はできない。つくり話もほどがある。
『血史』の虚偽性は、議論以前である。
「女子高等普通学校(当時の女子中等学校の名称)の廬永烈は、裸体で十字架の上に仰臥させられた。
日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて廬永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(菰)のように分切した。
血が雨のようにしたたりおちた。…が質問して、「お前はこれでもなお『万歳』を叫ぶつもりか」と言った。
彼女はこれに答えて、「独立が達成できなければたとえ死んでもやめない」と言った。
…数日間も食事を与えないで、三日目にふたたび拷問を加えた。
…やむをえず、衣服を抛(ほう)りかえしてよこし、きびしく警責を加えた後に釈放された。……」(231〜2頁、212頁)
(中略)
要は、『血史』の数字や描写を引用していたすべての研究書・専門書は、完全なる歴史歪曲、歴史偽造のそれであって、いっさいの学術的価値はない。
ということは、この『血史』に基づく、在ソウルの「歴史館」は、「ホラー映画」と同類の、空想と妄想で創った「東洋一のオバケ屋敷」となる。
真実を求めず歪曲と偽造の韓国とは、根本において「文明以前」であり、野蛮国である。
『血史』のような品性も知性もない嘘だらけの作品を書く人物を数多く出したこと自体、韓国は国家として恥ずべきだろう。
『歴史を偽造する韓国』中川八洋著
だが、やがてバラバラになり、臨時政府がシベリアや上海などだった。
その後、それぞれの臨時政府は戦後の南北分断まで互いに抗争を続ける始末・・・
過激派が海外に去り、朝鮮は安全になったので、憲兵制度を廃止しました。
3・1事件の死者は日本人が8人で、朝鮮人は500人余り、3年以上の禁固刑となったのはたったの80人。
大半の普通の朝鮮人は大人しくしていた。
3・1事件はテロ事件だった。
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日本の憲兵六名と警察官二名を殺害し、また放火等による官公署建築物破壊をなした朝鮮人の被疑者に対して、朝鮮固有の拷問は皆無であった。さらに証拠主義に徹して、多くの被疑者が無罪放免となった。さらに死刑も無期も一人としてなく軽罰の判決しか出さなかった。とくに、四月三日に水原郡雨汀面(村)の花樹里警察官駐在所(日本人巡査一名、朝鮮人巡査補三名が勤務)の川端豊太郎巡査を石と棍棒で殺した上に(創痕51箇所)、耳と鼻をそぎおとし陰具を切断した惨殺事件があったのに、裁判は「報復」的なことは一切しなかった。
官公署の被害は、朝鮮総督府の調査によれば次のようなものであった。面事務所(村役場)の全壊十九.うち放火によるもの五。窓硝子破壊、器物・書類の焼却など村役場の一部破壊二十八.警察署・警察官駐在所・憲兵分隊・同分遣所・同駐在所については全壊十六ヶ所、一部破壊二十九ヶ所。郵便局の全壊二、一部破壊九。
(韓国の教科書は朴殷植の『独立運動之血史』の記述に基づいて、総督府による三・一事件の弾圧を糾弾している)(韓国の教科書では)監獄(刑務所)に収監された人数は「5万人」と、実際の6倍にしている。
朝鮮全土に当時、刑務所は監獄8、分監12しかなかった。
三・一事件で収監されたのは約8500名で、定員オーバーであった。
「5万人」という人数の収監能力などは物理的に途方もない。
入監者数については、朝鮮総督府が正確に把握しており、1919年5月10日現在、8437名であった。
韓国の教科書は出鱈目な数字を書いている。
ホラー小説の類である『独立運動之血史』が何ら信憑性がないのは、次の記述一つだけで充分だろう。
両手・両足を切断された人間が即死しない、そればかりか手がないのに自分で衣服を着ることができる、足がないのに自分で歩いて帰宅できる、というのである。
また、手足を切られたあと3日間も食事を与えられずとも元気で官憲を罵倒しつづけたという。
マンガでもここまでの描写はできない。つくり話もほどがある。
『血史』の虚偽性は、議論以前である。
「女子高等普通学校(当時の女子中等学校の名称)の廬永烈は、裸体で十字架の上に仰臥させられた。
日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて廬永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(菰)のように分切した。
血が雨のようにしたたりおちた。…が質問して、「お前はこれでもなお『万歳』を叫ぶつもりか」と言った。
彼女はこれに答えて、「独立が達成できなければたとえ死んでもやめない」と言った。
…数日間も食事を与えないで、三日目にふたたび拷問を加えた。
…やむをえず、衣服を抛(ほう)りかえしてよこし、きびしく警責を加えた後に釈放された。……」(231〜2頁、212頁)
(中略)
要は、『血史』の数字や描写を引用していたすべての研究書・専門書は、完全なる歴史歪曲、歴史偽造のそれであって、いっさいの学術的価値はない。
ということは、この『血史』に基づく、在ソウルの「歴史館」は、「ホラー映画」と同類の、空想と妄想で創った「東洋一のオバケ屋敷」となる。
真実を求めず歪曲と偽造の韓国とは、根本において「文明以前」であり、野蛮国である。
『血史』のような品性も知性もない嘘だらけの作品を書く人物を数多く出したこと自体、韓国は国家として恥ずべきだろう。
『歴史を偽造する韓国』中川八洋著
これは メッセージ 4646 (hameln_no_huehuki さん)への返信です.