買って読め
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/02/22 00:14 投稿番号: [4608 / 41162]
>>日本軍が南京の一般市民を虐殺した確たる証拠は皆無であり、人数は0人〜(あったとしてもせいぜい)10人ぐらいでしょう。
>よせよ、、、ウソ書くのは 止めなよ。
ウソだと言うなら、日本軍による南京市民の虐殺を1件でも証明してみろ。
マトモな裁判で有罪判決を出し得る「日本軍による南京市民殺害事件」は1件もない。
安全区国際委員会の日軍犯罪統計では、殺人事件は49件だったが、以下のとおり。
Ω Ω Ω
『南京事件の総括』P171 田中正明著 展転社
こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である(東京千代田区在住)。福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page054.html
そして、安全区国際委員会のメンバーは誰一人として虐殺を目撃していない。
>虐殺したのはすべて、中国兵だったとでも言うのかい?
南京の死体の死因は十七通り存在する
実は日本軍が南京に入る前から市内には多数の死体が存在していた。十一月二十九日の様子を、ドイツのりリー・アベック記者はこう記している。
「もはやどこに行っても、規律の解体と無秩序が支配していた。南京駅に二千人の負傷者を乗せた汽車が到着したが、誰も見向きもしなかった。看護兵も付き添っていなかった。負傷兵たちは二日間も放置された後、その二日間に死んだ者と一緒に降ろされ、駅のホームに並べられた。死骸が空気を汚染し、悪臭を放った。」
十二月七日、中国軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。
支那軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。
上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。
〆 〆 〆
南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている。
『南京戦史』二七三頁
(略)
表五
南京にあった中国側の「死体」の分類 殺害者 死亡の状態
日中両軍
(略)
上記17ケースのうち、日本軍の不法殺害(戦時国際法違反)による犠牲者にあたるのは、※印をつけた13〜15の3つのケースだけである。ただし13については、中国兵が市民に偽装したため起きた事態であり、違法性は軽減されよう。また15のケースは、公式文書では一切確認されていない。
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2-1-3
>残念ながら、、我が町の図書館にはカール・カワカミ著作本は置いていないようだよ。
オマエの町の図書館になければ、書店に行って取り寄せて買って読め。
>よせよ、、、ウソ書くのは 止めなよ。
ウソだと言うなら、日本軍による南京市民の虐殺を1件でも証明してみろ。
マトモな裁判で有罪判決を出し得る「日本軍による南京市民殺害事件」は1件もない。
安全区国際委員会の日軍犯罪統計では、殺人事件は49件だったが、以下のとおり。
Ω Ω Ω
『南京事件の総括』P171 田中正明著 展転社
こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である(東京千代田区在住)。福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page054.html
そして、安全区国際委員会のメンバーは誰一人として虐殺を目撃していない。
>虐殺したのはすべて、中国兵だったとでも言うのかい?
南京の死体の死因は十七通り存在する
実は日本軍が南京に入る前から市内には多数の死体が存在していた。十一月二十九日の様子を、ドイツのりリー・アベック記者はこう記している。
「もはやどこに行っても、規律の解体と無秩序が支配していた。南京駅に二千人の負傷者を乗せた汽車が到着したが、誰も見向きもしなかった。看護兵も付き添っていなかった。負傷兵たちは二日間も放置された後、その二日間に死んだ者と一緒に降ろされ、駅のホームに並べられた。死骸が空気を汚染し、悪臭を放った。」
十二月七日、中国軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。
支那軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。
上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。
〆 〆 〆
南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている。
『南京戦史』二七三頁
(略)
表五
南京にあった中国側の「死体」の分類 殺害者 死亡の状態
日中両軍
(略)
上記17ケースのうち、日本軍の不法殺害(戦時国際法違反)による犠牲者にあたるのは、※印をつけた13〜15の3つのケースだけである。ただし13については、中国兵が市民に偽装したため起きた事態であり、違法性は軽減されよう。また15のケースは、公式文書では一切確認されていない。
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2-1-3
>残念ながら、、我が町の図書館にはカール・カワカミ著作本は置いていないようだよ。
オマエの町の図書館になければ、書店に行って取り寄せて買って読め。
これは メッセージ 4603 (yominokuni56 さん)への返信です.