南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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横>大馬鹿だね

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2005/02/05 02:58 投稿番号: [4423 / 41162]
>上海派遣軍がどのような軍隊であったか?

・・・中支那方面軍司令官   松井石根大将
・・上海派遣軍司令官   朝香宮中将
・第3師団   長:藤田進中将
・第11師団   長:山室宗武中将
・第9師団   長:吉住良輔中将
・第13師団   長:荻洲立兵中将
・第101師団   長:伊東正喜中将
・第16師団   長:中島今朝吾中将
・重藤支隊   長:重藤千秋少将
・野戦重砲兵第5旅団   長:内山英太郎少将
・・第10軍司令官   柳川平助中将
・第6師団   長:谷寿夫中将、後、稲葉四郎中将
・第18師団   長:牛島貞雄中将
・第114師団   長:末松茂治中将
・第5師団隷下歩兵第9旅団   長:国崎登少将
・野戦重砲兵第6旅団   長:石田保道少将

>どこで招集された兵士たちであったか?

・・上海派遣軍
・第3師団:名古屋
・第11師団:善通寺
・第9師団:金   沢
・第13師団:仙   台
・第101師団:東   京
・第16師団:京   都
・重藤支隊:台   湾
・・第10軍
・第6師団:熊   本
・第18師団:久留米
・第114師団:宇都宮  
・第9旅団:広   島

>兵隊は正規軍の兵士であったのか?

・上記部隊は全て日本帝国陸軍正規師団・正規旅団であり、各師団・旅団将校・兵員は正規の軍人。

>この作戦指揮を執ったのは誰なのか?

中支那方面軍(他国の「軍」に相当)司令官・松井石根大将

>参謀本部の作戦課長は誰だったのか?

参謀本部第1部   部長:石原莞爾少将
同第2課(作戦担当)   課長:河辺虎四郎大佐

>上海戦から南京攻略に向かった計画は誰が作成したのか?
>果たしてその計画はあったのか?

「作成」した部署は無い。
参謀本部第1部長、同第2課、陸軍省軍務課等が慎重派・不拡大派。
陸軍大臣、陸軍省軍事課、参謀本部第1部第3課、同第2部7課(中国課)が拡大派。
尚、現地・支那駐屯軍は不拡大を方針として確認。

その後、参謀本部第1部長の退任により、南京攻略が(主に強硬派と、現地第10軍の意見具申により)策定。
参謀本部(大本営陸軍部)は現地方面軍へ1937年12月1日をもって、海軍と協力し敵国首都南京を攻略すべし、と下令。
現地第10軍はこの大本営命令に先だって独断にて攻勢制限線(11月24日策定)を突破。
南京攻略を準備、上海派遣軍と第10軍との進撃競争となった。

>上海派遣軍の裁可を天皇はしているのか?

「大陸令」ではない。(各作戦悉くを天皇裁可する訳ではない)

>上海攻略後から南京攻略まで、何ヶ月で作戦終了したのか?

上海攻略終了は1937年11月11日夜(中華民国軍戦線が総崩れとなり、敗走した)
1937年12月4日   中華民国軍約10万が守備する南京防衛外郭陣地を突破。
1937年12月8日   最終防衛線での中華民国軍の抵抗を排除しつつ南京城に迫る。
1937年12月13日   中華民国軍は退却を開始。
日本軍は1個聯隊を入城させ、南京の完全占領を発表。

上海攻略後〜南京攻略まで約1ヶ月

>大本営の設営も後日だよ!

大本営設置は1937年11月20日

>はっきりと言っておいてやる、天皇の正式の軍隊では無かったのだよ。

師団長(中将)以上は「親補職」であり、高等官勅任一等。
「親補職」は天皇陛下にのみ、補職権を有する。
中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の師団長以上は全て天皇陛下より正式に親補された「親補職」であり、高等官勅任一等。

尚、少将は高等官勅任二等
佐官・尉官は高等官奏任三等〜八等
准士官は判任官一等
下士官は判任官二等〜四等

いづれも日本帝国の正式な叙勲位を有する、天皇陛下の軍人であり、正式な帝国陸軍部隊。

ご参考までに...
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