ラーベは嘘吐き
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2004/11/25 21:16 投稿番号: [4148 / 41162]
まずは、これ↓をよく読め!
ラーベ日記の検証
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page010.html
さて、念のため。
Ω Ω Ω Ω
日本軍の南京入城当時、婦女子をはじめとする民間人は安全区に集められていた。
そして、南京安全区国際委員会(米国人7、英5、独2、デンマーク1の計15名)のジョン・ラーベ委員長は、日本軍司令官に対して次のような書簡を送っている。
「私どもは、貴下の砲兵隊が安全区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき貴下(松井軍司令官)と連絡を取り得るようになりましたことに対して、感謝の意を表するものであります」(1937年12月14日)
Ω Ω Ω Ω
ラーベは国際安全委員会の委員長だったが、国際委員会が告発した日本軍による殺害事件の犠牲者はたったの50人ぐらいだった。
(1937年12月13日〜38年2月9日)
しかも、
―――――――――――――――――
こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である(東京千代田区在住)。福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page054.html
―――――――――――――――――
ドイツは当時、米英と共に蒋介石を援助する軍事顧問団を置いていた。
ラーベの所属するジーメンス社(ドイツ)は、兵器や通信機の製作会社である。
したがって、この委員会を構成する15人はいずれも、日本の「敵性国民」であったし、支那の宣伝工作員も含まれていた。
ラーベ日記の検証
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page010.html
さて、念のため。
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日本軍の南京入城当時、婦女子をはじめとする民間人は安全区に集められていた。
そして、南京安全区国際委員会(米国人7、英5、独2、デンマーク1の計15名)のジョン・ラーベ委員長は、日本軍司令官に対して次のような書簡を送っている。
「私どもは、貴下の砲兵隊が安全区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき貴下(松井軍司令官)と連絡を取り得るようになりましたことに対して、感謝の意を表するものであります」(1937年12月14日)
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ラーベは国際安全委員会の委員長だったが、国際委員会が告発した日本軍による殺害事件の犠牲者はたったの50人ぐらいだった。
(1937年12月13日〜38年2月9日)
しかも、
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こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である(東京千代田区在住)。福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page054.html
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ドイツは当時、米英と共に蒋介石を援助する軍事顧問団を置いていた。
ラーベの所属するジーメンス社(ドイツ)は、兵器や通信機の製作会社である。
したがって、この委員会を構成する15人はいずれも、日本の「敵性国民」であったし、支那の宣伝工作員も含まれていた。
これは メッセージ 4145 (rainnight88 さん)への返信です.