鳩山が訪問した南京大虐殺記念館の嘘八百
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2013/01/19 22:24 投稿番号: [41101 / 41162]
鳩山「南京大虐殺は事実。なかった言う方は、ここに来られてから話をされたらいい」南京大虐殺記念館
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4936.html
(一部抜粋)
「南京大虐殺紀念館」は、日本の国賊からの要請と寄付によって建設された。
日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れ、当館を建設するよう求めた。
支那は、資金不足を理由として建設に消極的だったため、田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された。(浜田幸一 「日本をダメにした9人の政治家」)
さて、ここに鳩山由紀夫が訪問した。
まず、展示されている写真などは全てインチだ。
次に、「南京大虐殺紀念館」に展示している遺骨や遺骸が棄てられたとされる「万人坑」などについてだが、そんなものは日本軍による南京大虐殺の証拠とは到底成り得ない。
骨は幾つあっても、いつの誰の骨かも分からないのだから、日本軍による虐殺の証拠になるわけがない。
もともと南京は歴代支那王朝が交代する度に大虐殺が繰り返される歴史的な大虐殺の地だった。
日本が関与した支那事変における南京戦でも、日本軍が南京を占領する前の死体は多数存在していた。
中国軍には戦闘に際して兵士を先頭に立たせ、後退する兵士がおれば背後から射殺する任務を帯びた「督戦隊」という独特の組織がある。邑江門の中国兵の死体は、この「督戦隊」によって殺されたものであった。
実は日本軍が南京に入る前から市内には多数の死体が存在していた。
支那軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。
「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」と回答・南京大虐殺記念館の館長の鳩山への説明は大ウソ!反論できる・人口は当時20万人で、犠牲者数は0人だ
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4937.html
(一部抜粋)
>また、鳩山元首相は「当時の南京市の人口と南京事件の犠牲者数は?」とも問いかけた。館長が、東京裁判や南京軍事法廷の判決で示された数字として「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」と回答する場面も見られた。
「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」は、大ウソであり、簡単に反論できる。
▽1937年11月〜12月の南京の人口推移▽
1937年前半「100万人超」
(支那事変勃発前)
1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡(南京事件P220 笠原十九司)
11/27「30〜40万」
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告 (アメリカ資料編P90)
12/6「約20万」
なぜ。金持ちを、約80万という恵まれた市民を逃がしたんだ?
(ラーベの日記P96)
12月10日「約20万」
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)
12月13日「約20万」
言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。(略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
(安全委員会公文書T-6)
■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。
▽1937年前半(支那事変以前)〜1938年9月の南京の人口推移▽
1937年前半 「100万人」
↓
11月初旬〜11月23日 「50万人」(支那軍が南京に来て減少)
↓
11月27日 「30〜40万」
↓
12月13日 「20万」
↓
1938年1月14日 「25万人」(日本軍が南京を占領し支那軍が南京を去ったため南京の人口が増加に転じる)
↓
1938年9月23日 「40〜50万人」
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4936.html
(一部抜粋)
「南京大虐殺紀念館」は、日本の国賊からの要請と寄付によって建設された。
日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れ、当館を建設するよう求めた。
支那は、資金不足を理由として建設に消極的だったため、田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された。(浜田幸一 「日本をダメにした9人の政治家」)
さて、ここに鳩山由紀夫が訪問した。
まず、展示されている写真などは全てインチだ。
次に、「南京大虐殺紀念館」に展示している遺骨や遺骸が棄てられたとされる「万人坑」などについてだが、そんなものは日本軍による南京大虐殺の証拠とは到底成り得ない。
骨は幾つあっても、いつの誰の骨かも分からないのだから、日本軍による虐殺の証拠になるわけがない。
もともと南京は歴代支那王朝が交代する度に大虐殺が繰り返される歴史的な大虐殺の地だった。
日本が関与した支那事変における南京戦でも、日本軍が南京を占領する前の死体は多数存在していた。
中国軍には戦闘に際して兵士を先頭に立たせ、後退する兵士がおれば背後から射殺する任務を帯びた「督戦隊」という独特の組織がある。邑江門の中国兵の死体は、この「督戦隊」によって殺されたものであった。
実は日本軍が南京に入る前から市内には多数の死体が存在していた。
支那軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。
「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」と回答・南京大虐殺記念館の館長の鳩山への説明は大ウソ!反論できる・人口は当時20万人で、犠牲者数は0人だ
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4937.html
(一部抜粋)
>また、鳩山元首相は「当時の南京市の人口と南京事件の犠牲者数は?」とも問いかけた。館長が、東京裁判や南京軍事法廷の判決で示された数字として「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」と回答する場面も見られた。
「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」は、大ウソであり、簡単に反論できる。
▽1937年11月〜12月の南京の人口推移▽
1937年前半「100万人超」
(支那事変勃発前)
1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡(南京事件P220 笠原十九司)
11/27「30〜40万」
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告 (アメリカ資料編P90)
12/6「約20万」
なぜ。金持ちを、約80万という恵まれた市民を逃がしたんだ?
(ラーベの日記P96)
12月10日「約20万」
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)
12月13日「約20万」
言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。(略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
(安全委員会公文書T-6)
■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。
▽1937年前半(支那事変以前)〜1938年9月の南京の人口推移▽
1937年前半 「100万人」
↓
11月初旬〜11月23日 「50万人」(支那軍が南京に来て減少)
↓
11月27日 「30〜40万」
↓
12月13日 「20万」
↓
1938年1月14日 「25万人」(日本軍が南京を占領し支那軍が南京を去ったため南京の人口が増加に転じる)
↓
1938年9月23日 「40〜50万人」