大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(14)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/05 20:30 投稿番号: [41045 / 41162]
インパールから
敗退する道は、日本軍兵士たちによって
「靖国街道」、あるいは 「白骨街道」 と名づけられた。
悲惨な退却の様相について、前述した将兵とは別の
一人の 将校の証言を、以下に 引用してみたい。
兵隊達の姿は 既に骸骨に 等しかった。
げっそり窪んだ眼が、伸び放題の無精髭と 尖り立った
頬骨の奥に空ろに光っていた。顔色は日灼けのした上に
泥濘をまぶしつけて、それでいて、その底に澱む
不透明な蒼白さが 浮いて見えた。
手先きは 僅かに皮膚を冠ったばかりの骨が、一本一本
浮き立ち、その上を通る静脈がどす黒く不気味であった。
足先きは 靴が脱げない程 ふくらんでいた。
雨にふやけたのだ。 まるで豆腐糠のように光沢のない
白さに腫れ上がっていた。靴を穿き潰した者が大勢いた
が、そんな者の 足先きは 一層ひどかった。
被服は いうまでもなく 泥にまみれ切って 臀や肘の
あたりがべろべろに破れていても修理など出来なかった。
それを ひらひらさせながら 歩いていた。
もう その頃になると、脚気で全身むくみあがった者は
いなかった。 とっくに 落伍したのだ。 したがって、
兵隊達は 一様に枯れ切った細い枯木に ひとしかった。
(中略)
その頃、誰言うことなく、この街道を靖国街道と言った。
その儘歩き続ければ、靖国神社に通じるという意味である
(村田平次『インパール作戦―烈兵団コヒマの死闘』より)
1952年に 厚生省援護局の調査したビルマ方面の作戦兵力と
戦没者の数は、次のとおりだ。
兵 力 303,501
戦没者 185,149
帰還者 118,351
戦没者は、じつに 61%にも 達したことが分かる。
これは、陸軍の陸上部隊のみで 航空部隊は 含まれていない。
つまり、海軍と航空部隊を加えれば、犠牲者数は もっと多い。
この戦没者の中で、餓死・病死者の割合が どうであるかは、
正確には判明しないのだが、多くの将兵の証言や記録によると
戦死者よりも 餓死・病死者が はるかに多かったことが判る。
補給を無視した 無謀な作戦に駆り出され、飢餓地獄のなかで
歩く体力を失い、助けてくれ、連れて行ってくれ と泣き叫び
友軍兵士の脚に すがりついていた 重病患者たちの 無念さ、
悲しみを 思うとき、「玉砕」などという粉飾された言葉を並べ
偽りの戦果ばかりを発表し続けた大本営、そして日本軍自体に
怒りと 情けなさを 感じざるを得ない。
同時に、その当時の軍部が 垂れ流した 戦争の大義名分や
美しく 粉飾された 武勇談などを、いまだに疑うことなく
賛美礼賛して憚らない 愚かなヤスクニ派が存在することも、
同じ日本人として 恥ずかしいことであり嘆かざるを得ない。
これでは、平和を生きる 日本国民としては 無責任であり、
無念の死を遂げた大勢の戦争犠牲者に対し本当に申し訳ない。
「靖国街道」、あるいは 「白骨街道」 と名づけられた。
悲惨な退却の様相について、前述した将兵とは別の
一人の 将校の証言を、以下に 引用してみたい。
兵隊達の姿は 既に骸骨に 等しかった。
げっそり窪んだ眼が、伸び放題の無精髭と 尖り立った
頬骨の奥に空ろに光っていた。顔色は日灼けのした上に
泥濘をまぶしつけて、それでいて、その底に澱む
不透明な蒼白さが 浮いて見えた。
手先きは 僅かに皮膚を冠ったばかりの骨が、一本一本
浮き立ち、その上を通る静脈がどす黒く不気味であった。
足先きは 靴が脱げない程 ふくらんでいた。
雨にふやけたのだ。 まるで豆腐糠のように光沢のない
白さに腫れ上がっていた。靴を穿き潰した者が大勢いた
が、そんな者の 足先きは 一層ひどかった。
被服は いうまでもなく 泥にまみれ切って 臀や肘の
あたりがべろべろに破れていても修理など出来なかった。
それを ひらひらさせながら 歩いていた。
もう その頃になると、脚気で全身むくみあがった者は
いなかった。 とっくに 落伍したのだ。 したがって、
兵隊達は 一様に枯れ切った細い枯木に ひとしかった。
(中略)
その頃、誰言うことなく、この街道を靖国街道と言った。
その儘歩き続ければ、靖国神社に通じるという意味である
(村田平次『インパール作戦―烈兵団コヒマの死闘』より)
1952年に 厚生省援護局の調査したビルマ方面の作戦兵力と
戦没者の数は、次のとおりだ。
兵 力 303,501
戦没者 185,149
帰還者 118,351
戦没者は、じつに 61%にも 達したことが分かる。
これは、陸軍の陸上部隊のみで 航空部隊は 含まれていない。
つまり、海軍と航空部隊を加えれば、犠牲者数は もっと多い。
この戦没者の中で、餓死・病死者の割合が どうであるかは、
正確には判明しないのだが、多くの将兵の証言や記録によると
戦死者よりも 餓死・病死者が はるかに多かったことが判る。
補給を無視した 無謀な作戦に駆り出され、飢餓地獄のなかで
歩く体力を失い、助けてくれ、連れて行ってくれ と泣き叫び
友軍兵士の脚に すがりついていた 重病患者たちの 無念さ、
悲しみを 思うとき、「玉砕」などという粉飾された言葉を並べ
偽りの戦果ばかりを発表し続けた大本営、そして日本軍自体に
怒りと 情けなさを 感じざるを得ない。
同時に、その当時の軍部が 垂れ流した 戦争の大義名分や
美しく 粉飾された 武勇談などを、いまだに疑うことなく
賛美礼賛して憚らない 愚かなヤスクニ派が存在することも、
同じ日本人として 恥ずかしいことであり嘆かざるを得ない。
これでは、平和を生きる 日本国民としては 無責任であり、
無念の死を遂げた大勢の戦争犠牲者に対し本当に申し訳ない。
これは メッセージ 41044 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.