目撃者証言(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/19 20:38 投稿番号: [40867 / 41162]
南京事件否定派の東中野教授は
『南京事件証拠写真を検証する』
という著書で、いくつかの写真を 「検証」 してみせた。
しかし、これは はじめから 南京虐殺とは関係ない写真ばかりを
引き合いに出し、「証拠とならない」 と言ってみせることで、
事件の証拠はない と思わせる トリックに すぎなかった。
その東中野教授が、「検証」 しようとしない 写真がある。
それは、村瀬守保氏が 撮影した写真だ。
村瀬氏は、当時 目黒輜重連隊 兵站自動車第17中隊に所属し、
補給部隊として 南京戦の後を 辿りながら、貴重な記録写真を
多数 撮影した人物だ。 村瀬氏の 写真は 撮影の日時、場所、
状況などが はっきりしているが、こうした、信憑性の高い写真を
初めから 除いたうえで 「検証した」 というのは、詐欺だ。
以下、『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』 から引用する。
南京制圧
第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
目立ち始めました。 (略)奥の部屋に踏み込むと、下半身
裸の婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
加えて虐殺し、女性の性器に 棒を差し込んでおくような、
残虐な事例も 何回か目にしました。
南京の攻略が 大幅に遅れたので、第一線部隊の 兵隊は、
厳しい命令を受けて、目が血走っていました。
小休止で一緒に休んだ時の話をきくと、「南京一番乗りは
師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、
酒もある。速くいったものは、やりたいほうだい、何でも
やれるぞ」 と上官からハッパをかけられているのです。
(略)
ようやく足止めが解除されて、ある日荷物受領に揚子江岸の
下関埠頭へ行きました。 すると、広い河岸が一杯に死体で
うまっているのです。 岸辺の泥に埋まって幅十メートル位は
あろうか、と思われる 死体の山でした。
揚子江岸で大虐殺が行われたという その現場でしょうか、
軍服を着た者は ほとんどなく、大部分が平服の 民間人で、
婦人や子供も 交じっているようでした。
死体に油をかけて、焼こうとしたため黒焦げになった死体も、
数多くありました。 死臭で息もつけない中を、工兵部隊が
死体を 沖に運んで 流す作業を やっていましたが、
こんなやり方では、一〜二ヵ月は かかりそうでした。
補給部隊が 第一線を追っていく途上で、虐殺死体が 第一線に
近づくほど目立っていった という事実が 記されている。
否定派お得意の“中国軍の自作自演”の可能性については、一言も
述べておらず、「やりたいほうだい、何でもやれるぞ」 いう声を
聞いた事実を記すことで、実行犯が誰かなのかを 示唆している。
例によって南京虐殺否定派は、村瀬氏を 嘘つき呼ばわりするか、
あるいは、村瀬氏が見たのは 戦闘で死んだ 兵士の死体であり、
民間人というのは間違いだ などと 主張するだろう。
しかし、当時の軍隊生活と 戦場の実体験を有する者の記述を、
現場を見ていない者が 憶測をならべて、ウソや間違いだ などと
断じるのは、やはり 無理な話だろう。
犯行現場に居た者、目撃した者の証言は、犯罪捜査の場面でも、
また、裁判の場でも、重要な証拠として 採用されるものだ。
という著書で、いくつかの写真を 「検証」 してみせた。
しかし、これは はじめから 南京虐殺とは関係ない写真ばかりを
引き合いに出し、「証拠とならない」 と言ってみせることで、
事件の証拠はない と思わせる トリックに すぎなかった。
その東中野教授が、「検証」 しようとしない 写真がある。
それは、村瀬守保氏が 撮影した写真だ。
村瀬氏は、当時 目黒輜重連隊 兵站自動車第17中隊に所属し、
補給部隊として 南京戦の後を 辿りながら、貴重な記録写真を
多数 撮影した人物だ。 村瀬氏の 写真は 撮影の日時、場所、
状況などが はっきりしているが、こうした、信憑性の高い写真を
初めから 除いたうえで 「検証した」 というのは、詐欺だ。
以下、『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』 から引用する。
南京制圧
第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
目立ち始めました。 (略)奥の部屋に踏み込むと、下半身
裸の婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
加えて虐殺し、女性の性器に 棒を差し込んでおくような、
残虐な事例も 何回か目にしました。
南京の攻略が 大幅に遅れたので、第一線部隊の 兵隊は、
厳しい命令を受けて、目が血走っていました。
小休止で一緒に休んだ時の話をきくと、「南京一番乗りは
師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、
酒もある。速くいったものは、やりたいほうだい、何でも
やれるぞ」 と上官からハッパをかけられているのです。
(略)
ようやく足止めが解除されて、ある日荷物受領に揚子江岸の
下関埠頭へ行きました。 すると、広い河岸が一杯に死体で
うまっているのです。 岸辺の泥に埋まって幅十メートル位は
あろうか、と思われる 死体の山でした。
揚子江岸で大虐殺が行われたという その現場でしょうか、
軍服を着た者は ほとんどなく、大部分が平服の 民間人で、
婦人や子供も 交じっているようでした。
死体に油をかけて、焼こうとしたため黒焦げになった死体も、
数多くありました。 死臭で息もつけない中を、工兵部隊が
死体を 沖に運んで 流す作業を やっていましたが、
こんなやり方では、一〜二ヵ月は かかりそうでした。
補給部隊が 第一線を追っていく途上で、虐殺死体が 第一線に
近づくほど目立っていった という事実が 記されている。
否定派お得意の“中国軍の自作自演”の可能性については、一言も
述べておらず、「やりたいほうだい、何でもやれるぞ」 いう声を
聞いた事実を記すことで、実行犯が誰かなのかを 示唆している。
例によって南京虐殺否定派は、村瀬氏を 嘘つき呼ばわりするか、
あるいは、村瀬氏が見たのは 戦闘で死んだ 兵士の死体であり、
民間人というのは間違いだ などと 主張するだろう。
しかし、当時の軍隊生活と 戦場の実体験を有する者の記述を、
現場を見ていない者が 憶測をならべて、ウソや間違いだ などと
断じるのは、やはり 無理な話だろう。
犯行現場に居た者、目撃した者の証言は、犯罪捜査の場面でも、
また、裁判の場でも、重要な証拠として 採用されるものだ。
これは メッセージ 40866 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.