南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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六氏先生

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/10/22 20:28 投稿番号: [40626 / 41162]
事実トピで大嘘吐いているのがいるのでこちちらで反論。
台湾での教育に日本人は真剣に命までかけて取り組んだ。
それが今日の台湾が親日である礎となっている。



六氏先生とは、明治28年(1895)、日本の台湾統治後にはじめて開校した学校である「芝山巌学堂(しざんがんがくどう)」に赴任し、暴徒に襲われて殉職した6人の日本人教師のことをいう。

日本が台湾で学校教育をはじめたのは明治28年7月。 台湾総督府開設から1か月も経たないという早さだった。
当時、文部省 学務部長心得であった伊沢修二は、初代の台湾総督の樺山資紀に、教育 を最優先すべきと具申し、7人の志ある人材を連れて台湾にわたった。
  彼らは、台北市内、士林(しりん)の芝山巌(現在は芝山岩・芝山公園) に学校を開設し教育をはじめたが、悲劇は、翌年1月1日、伊沢の一時 帰国中(山田耕造を伴い台湾での教育従事者募集のため)に起こった。

新年祝賀のため総督府に向かった6人の教師に、日本統治に反対する勢力が襲撃したのである。

当時は、日本への割譲に反対する清朝残党がゲリラ活動を続けており、 台北奪回を目指す勢力が不穏な動きを続けていたことは以前から察知さ れていた。
それでも伊沢たちは学堂に泊まり込んで「身に寸鉄を帯ずして住民の群 中に這入らねば、教育の仕事は出来ない。もし我々が国難に殉ずること があれば、台湾子弟に日本国民としての精神を具体的に宣示できる」と、 死をも覚悟して芝山巌での授業を続けていたのだった。

叛乱勢力が元旦を期して台北を攻撃するという。人々は学堂に残っていた6人の教員にこのことを告げて、避難することを勧めた。

しかし「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」との覚悟を示して6人の先生たち意に介さなかった。6人は約 100名からなる勢力の襲撃を受けた。6人の教師はひるむことなく教育の重要さを必死に説いた。しかし、それに納得しない暴徒は教師達に襲いかかり、全員を惨殺してしまったのである。

このような彼らの教育に対する情熱、精神は多くの人々に感銘を与え、その精神は芝山巌精神と称され人々の間に語り継がれるようになった。 昭和5年には芝山巌神社が創建され、六氏先生をはじめとして、台湾教育に殉じた人々が、昭和8年までに330人祀られた。 そのうち、台湾人教育者は24人を数えた。 また、「六氏先生の歌」がつくられ、時の首相伊藤博文揮毫による「学 務官僚遭難之碑」も建てられるなど、六氏先生の精神は台湾の学校教育 の原点となっていったのである。


参考:芝山巌事件の真相 篠原正巳   著   (2001年6月30日    和鳴会   発行)
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