Re: 自殺は日本の植民地支配の負の遺産
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/09/28 06:18 投稿番号: [40566 / 41162]
朝鮮は、清国の属国で会ったという事実を、無視しては駄目だよ、脳死君。
儒教を広めたのは、支那人、脳死君。
近代農法を教えたのは大日本帝国なんだよ、脳死君。
強姦が多いのは朝鮮人の素質だね、ベトナムを見ればよく分かるよ、脳死君。
参考書だよ、脳死君。
韓国思想の根幹は儒教(朱子学)である。そして中華思想から強い影響を受けた小中華思想が生まれ、この二つが韓国人の意識に深く根付いている。小中華思想は儒教とも結びつき、歪んだ優越感を生み、そこから様々な不整合を生み出している。
儒教は孔子(前552〜479)の教えを核として、後世にそれを継ぐ儒者達によって拡充された思想である。孔子は乱世の中国に生まれ、武力による覇権争いを治めるためには、人倫と政治の中心に「仁」を据えることによって平和を回復しようとしたのである。よって儒教は「修己治人之学」と言われ、倫理と政治の二つの面が連結しており、不可分である。孔子の徳治主義は、家族愛を根本におき、これを国家にまで発展させて天下を治めようという思想である。そして孔子の死後、発展・成長し、五常(仁、義、礼、智、信)を核とした、その人間関係、政治体系、人生のあり方を指し示す教えとして東アジア全般に広がり定着した。
この「仁」とは人間関係を表し、人間相互間の愛であるが、愛とは近親にあれば強く、遠くになるほど弱くなるものである。よって、序列のある差別愛のことを指し、宗教のような博愛や慈悲と言った無差別の愛ではない(朝鮮儒教の二千年 姜在彦 朝日新聞社)。つまり、儒教とは最初から差別を含んだものであり、皆が平等であるという思想ではないのである。
これらを見てもわかるように、儒教は宗教のように「来世のために生きる方法を知る」のではなく、人とのつながりを根拠に現世の生き方を説いた教えである。一概に同列に「教」という文字で表しても、その本質は宗教とは大きく異なる。
この儒教はその後、様々な人物によって解釈が加えられ、厳格な形に発展したものが朱子学である。朱子学は朱熹によって系統づけられ、それまで「仁」が重要視されていた儒教に対し「礼」を最重要視するようになった。「礼」の関係は言わば上下関係であり、中国の皇帝が臣民を統治するために都合良く系統づけられた、支配のための教えである。儒教が必要となる国家は、国内が乱れ、国民が強い不満を持っていた。それを押さえ込むためにその教義を利用したのである。
朝鮮には13世紀に朱子学が伝わり、その後国学となった。しかしこの朱子学の「礼」は、相手に対しても同様の「礼」を求めるものであり、文化の違う他国にも適用しようとしたため、応対が違うだけで礼を失するとし、他民族を差別の対象にしてきた。日本への対応などはその典型である。
そもそも儒教とは閉鎖された空間において、その上下関係、人間関係を問う教えである。すなわち、国家が民衆を支配するための体系であり、鎖国している中においては秩序を保てるが、儒教ではない民族など外部との接触は一切考慮されていない。元々差別視感の強い儒教では、中国・朝鮮以外の国は野蛮な獣としてみており、差別はおろか、人間扱いすらしない。つまり外国や他民族は敵、もしくは夷狄として見下す。特にこの朱子学では礼を尽くす対象に強い差別があり、自身にとって愛のないものには礼を尽くさないし、礼を失するものに対しては礼を返さない。言い換えれば、儒教国家以外の文化は差別し、蔑む傾向がある。中国人、韓国人の強い他国蔑視はこの思想から来るものだ。
儒教を広めたのは、支那人、脳死君。
近代農法を教えたのは大日本帝国なんだよ、脳死君。
強姦が多いのは朝鮮人の素質だね、ベトナムを見ればよく分かるよ、脳死君。
参考書だよ、脳死君。
韓国思想の根幹は儒教(朱子学)である。そして中華思想から強い影響を受けた小中華思想が生まれ、この二つが韓国人の意識に深く根付いている。小中華思想は儒教とも結びつき、歪んだ優越感を生み、そこから様々な不整合を生み出している。
儒教は孔子(前552〜479)の教えを核として、後世にそれを継ぐ儒者達によって拡充された思想である。孔子は乱世の中国に生まれ、武力による覇権争いを治めるためには、人倫と政治の中心に「仁」を据えることによって平和を回復しようとしたのである。よって儒教は「修己治人之学」と言われ、倫理と政治の二つの面が連結しており、不可分である。孔子の徳治主義は、家族愛を根本におき、これを国家にまで発展させて天下を治めようという思想である。そして孔子の死後、発展・成長し、五常(仁、義、礼、智、信)を核とした、その人間関係、政治体系、人生のあり方を指し示す教えとして東アジア全般に広がり定着した。
この「仁」とは人間関係を表し、人間相互間の愛であるが、愛とは近親にあれば強く、遠くになるほど弱くなるものである。よって、序列のある差別愛のことを指し、宗教のような博愛や慈悲と言った無差別の愛ではない(朝鮮儒教の二千年 姜在彦 朝日新聞社)。つまり、儒教とは最初から差別を含んだものであり、皆が平等であるという思想ではないのである。
これらを見てもわかるように、儒教は宗教のように「来世のために生きる方法を知る」のではなく、人とのつながりを根拠に現世の生き方を説いた教えである。一概に同列に「教」という文字で表しても、その本質は宗教とは大きく異なる。
この儒教はその後、様々な人物によって解釈が加えられ、厳格な形に発展したものが朱子学である。朱子学は朱熹によって系統づけられ、それまで「仁」が重要視されていた儒教に対し「礼」を最重要視するようになった。「礼」の関係は言わば上下関係であり、中国の皇帝が臣民を統治するために都合良く系統づけられた、支配のための教えである。儒教が必要となる国家は、国内が乱れ、国民が強い不満を持っていた。それを押さえ込むためにその教義を利用したのである。
朝鮮には13世紀に朱子学が伝わり、その後国学となった。しかしこの朱子学の「礼」は、相手に対しても同様の「礼」を求めるものであり、文化の違う他国にも適用しようとしたため、応対が違うだけで礼を失するとし、他民族を差別の対象にしてきた。日本への対応などはその典型である。
そもそも儒教とは閉鎖された空間において、その上下関係、人間関係を問う教えである。すなわち、国家が民衆を支配するための体系であり、鎖国している中においては秩序を保てるが、儒教ではない民族など外部との接触は一切考慮されていない。元々差別視感の強い儒教では、中国・朝鮮以外の国は野蛮な獣としてみており、差別はおろか、人間扱いすらしない。つまり外国や他民族は敵、もしくは夷狄として見下す。特にこの朱子学では礼を尽くす対象に強い差別があり、自身にとって愛のないものには礼を尽くさないし、礼を失するものに対しては礼を返さない。言い換えれば、儒教国家以外の文化は差別し、蔑む傾向がある。中国人、韓国人の強い他国蔑視はこの思想から来るものだ。
これは メッセージ 40563 (sho*j*uj* さん)への返信です.