天皇の軍隊と人肉食・・・
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/08/22 01:10 投稿番号: [40346 / 41162]
食料不足だし、梅毒だし・・
★・・何せ、大戦中に中国戦線や南方戦線で行われた、日本兵によるカニバリズムに関する記録がいろいろあるのだ。
「こんなこともあった。四一年九月下旬、黄河の奥で、俗に鄭州作戦という戦争をしかけ、日本軍は負けて撤収してきた。尾下さんの部隊がその撤収の支援に行った時のこと。
「私の一年先輩の一等兵が寝床を作ろうと思って、麦がらを探しに、ある中国人の家に行きました。
家の入り口に麦がらが積んである。これはいいと思って、そのまま抱えて持ってこようとすると、六十年輩の女の人が殺されていたというんです。
はじめは単純に婦女子に対する暴行か、と思ったんですが、見たら、頭がパカンとはぐれている。中がない。その兵はびっくりして、そのまま埋け込んできた。
付近にサツマイモ畑があり、私たちは芋を焼いては食べておりました。先ほどの先輩が芋を食べようと灰の中をほったところ何か紙にくるんだ物がでてきて、破れたところからなんか息のたつようなものがみえる。
それをみた、火の近くに寝そべっていたひとりの兵隊が起きあがって、ものすごい権幕でその人をどなりつけた。
「何するんだ、それは俺のだ」と。
後日わかったんですけれども、梅毒にかかった兵隊が、地方にはそんな言い伝えがあるんでしょうか、脳味噌を焼いて食えば直るという迷信をあてにして、中国農民を殺して、そういうことをしていたのです」
日本人の食人を思い出すたびに、尾下さんは今でも、頭に血が昇り、顔が紅潮してくる。」
(「戦争と罪責」野田正彰 岩波書店)
「第一一一大隊第二中隊が五月になって、とある山村に宿営したときがやはり「空室清野」であった。
【第一日は前の部落から略奪してきた食料で何とかまにあわせたが、二日で食いつくした。】
手に入る物といえば、村の畑にわずかに残る野菜ぐらいのものである。
(中略)
「そうだなあ、オイ、ひとつやっちゃうか」と伊藤少尉が榎本曹長をのぞき込むように言った。(中略)榎本曹長には、「やっちゃう」の意味が、その瞬間よくのみこめなかった。
「仕方がない、人間をやるんだ」少尉が曹長の表情に応えるようにつけ足した。中隊長(koβ註:伊藤少尉のこと)はそう言い残して、宿舎として使っていた農家から出ていった。
やっと榎本曹長にも、これから何事が起こるかがよくわかった。程なく中隊長が戻ってきた。
彼が連れてきたのは、年のころ一七、八と見える中国人の娘だ。皇軍は三日前この部落に侵入したときに、部落に残っていた者をことごとく捕らえた。
(中略)少尉が少女の後ろに回り、どんと榎本曹長の方に突き飛ばすのと、曹長の短剣が少女の胸を刺すのと、ほとんど同時だった。
(中略)
二人は目配せをし合っただけで、無言のまま、たちまちにして少女を「料理」してしまった。
もっとも短時間に「処理」できる部分として、二人は少女の太股の肉のみを切り取って、その場でスライスして油でいためてしまった。一個中隊分といっても、最前線にあっては七〇人ほどだったのだが、人肉の分量は意外に多く、各人にふた切れは渡りそうに思えた。
中隊長は別の部屋に五個小隊の炊事班員を呼び集めていった−「今日は特別に大隊本部から肉の配給があったので各小隊に配ることにした」
もちろん中隊長は嘘をついたのである。」
(「天皇の軍隊」本多勝一・長沼節夫 朝日文庫)
(「空室清野」:略奪されそうな物資をあらかじめ破却し人民を避難させることで、日本軍の物資調達と労働力確保を困難にする中共軍の戦術)
梅毒のために脳味噌を食うという話はここに挙げた例以外にも色々な資料の中に見られる。このほか、このリンクにもカニバリズムの記録がある。戦争中の話なら日本人の方が食人肉にはなじみが深いんじゃないのかね。・・
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/war10.html
★・・何せ、大戦中に中国戦線や南方戦線で行われた、日本兵によるカニバリズムに関する記録がいろいろあるのだ。
「こんなこともあった。四一年九月下旬、黄河の奥で、俗に鄭州作戦という戦争をしかけ、日本軍は負けて撤収してきた。尾下さんの部隊がその撤収の支援に行った時のこと。
「私の一年先輩の一等兵が寝床を作ろうと思って、麦がらを探しに、ある中国人の家に行きました。
家の入り口に麦がらが積んである。これはいいと思って、そのまま抱えて持ってこようとすると、六十年輩の女の人が殺されていたというんです。
はじめは単純に婦女子に対する暴行か、と思ったんですが、見たら、頭がパカンとはぐれている。中がない。その兵はびっくりして、そのまま埋け込んできた。
付近にサツマイモ畑があり、私たちは芋を焼いては食べておりました。先ほどの先輩が芋を食べようと灰の中をほったところ何か紙にくるんだ物がでてきて、破れたところからなんか息のたつようなものがみえる。
それをみた、火の近くに寝そべっていたひとりの兵隊が起きあがって、ものすごい権幕でその人をどなりつけた。
「何するんだ、それは俺のだ」と。
後日わかったんですけれども、梅毒にかかった兵隊が、地方にはそんな言い伝えがあるんでしょうか、脳味噌を焼いて食えば直るという迷信をあてにして、中国農民を殺して、そういうことをしていたのです」
日本人の食人を思い出すたびに、尾下さんは今でも、頭に血が昇り、顔が紅潮してくる。」
(「戦争と罪責」野田正彰 岩波書店)
「第一一一大隊第二中隊が五月になって、とある山村に宿営したときがやはり「空室清野」であった。
【第一日は前の部落から略奪してきた食料で何とかまにあわせたが、二日で食いつくした。】
手に入る物といえば、村の畑にわずかに残る野菜ぐらいのものである。
(中略)
「そうだなあ、オイ、ひとつやっちゃうか」と伊藤少尉が榎本曹長をのぞき込むように言った。(中略)榎本曹長には、「やっちゃう」の意味が、その瞬間よくのみこめなかった。
「仕方がない、人間をやるんだ」少尉が曹長の表情に応えるようにつけ足した。中隊長(koβ註:伊藤少尉のこと)はそう言い残して、宿舎として使っていた農家から出ていった。
やっと榎本曹長にも、これから何事が起こるかがよくわかった。程なく中隊長が戻ってきた。
彼が連れてきたのは、年のころ一七、八と見える中国人の娘だ。皇軍は三日前この部落に侵入したときに、部落に残っていた者をことごとく捕らえた。
(中略)少尉が少女の後ろに回り、どんと榎本曹長の方に突き飛ばすのと、曹長の短剣が少女の胸を刺すのと、ほとんど同時だった。
(中略)
二人は目配せをし合っただけで、無言のまま、たちまちにして少女を「料理」してしまった。
もっとも短時間に「処理」できる部分として、二人は少女の太股の肉のみを切り取って、その場でスライスして油でいためてしまった。一個中隊分といっても、最前線にあっては七〇人ほどだったのだが、人肉の分量は意外に多く、各人にふた切れは渡りそうに思えた。
中隊長は別の部屋に五個小隊の炊事班員を呼び集めていった−「今日は特別に大隊本部から肉の配給があったので各小隊に配ることにした」
もちろん中隊長は嘘をついたのである。」
(「天皇の軍隊」本多勝一・長沼節夫 朝日文庫)
(「空室清野」:略奪されそうな物資をあらかじめ破却し人民を避難させることで、日本軍の物資調達と労働力確保を困難にする中共軍の戦術)
梅毒のために脳味噌を食うという話はここに挙げた例以外にも色々な資料の中に見られる。このほか、このリンクにもカニバリズムの記録がある。戦争中の話なら日本人の方が食人肉にはなじみが深いんじゃないのかね。・・
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/war10.html