朝日新聞記者あて提出の意見
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/07/26 11:05 投稿番号: [40228 / 41162]
朝日新聞記者あてに意見を出しました。
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秦郁彦著『南京事件』中公新書p131掲載の
南京事件元兵士日記の、現物写真版「井家又一日記」を、私が、自分のホームページにUPしています。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html
また私は、幕末(1835年)から1904年までに生まれた、
日本人の手書き手紙の写真版(正確には影印版)
174点もUPしております。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/1894nennikouniumaretahitonomoji.html
この両者を比較して、井家又一日記は偽作であると結論した論文を、
現在、古文書学会に提出中です。
平凡社から『南京事件論争史』を出しておられる、笠原十九司先生から、
平凡社編集氏経由で、先生のお名前の、お返事をいただきました。
私が平凡社編集部あてに質問を回してほしい旨、依頼を出してあったのです。
2月頃の問い合わせだったでしょうか。
この頃はまだ、日本人手書き手紙174点は全部UPしておらず、
先生のお返事にもかなり制約があると思いますが、
4ヶ月くらいたった6月19日に、先生からお返事をいただきました。
笠原先生ご署名入り(ただし電子メールに添付されたワープロ文書ファイル)をいただきました。
「井家又一日記は、戦場で戦闘中に書かれた正真正銘の「陣中日記」ではなく、
まとまった休養時間ができた時にゆっくり書いたものだろう。
戦後書かれたものであったとしても、「回想録」としての史料的価値はある。
発見された元兵士の日記は全部疑う必要があるのでは、というのは、論理の飛躍である。」
先生のお返事の大体の内容はこんなものですが、
私は6月15日付けで出した日本古文書学会向け論文(原稿用紙換算約26枚)で、私の視点として、
井家又一日記について、数多くの奇妙な部分を指摘しています。
笠原先生には、まだ読んでおられないはずの私の指摘に対し、
秦郁彦著の写真版井家又一日記が、確かに元兵士が書いたものだ、と、
証明する義務があると思うのです。
私の指摘の主な部分だけですが、以下に紹介しておきます。
(記者)氏も、ご自分で考えてみていただけないでしょうか。
○変体仮名の使用頻度が尋常ではない。
写真版・井家又一日記の334文字の内、仮名は172文字ある。
そしてその内、「く」「な」の古い字体を含む変体仮名は、全部で11種類40文字ある。
これを、昭和10年刊行・平凡社『手紙講座』の、
1894年から1904年までに生まれた(南京事件の頃には33歳から43歳)、
小学校で現代ひらがなだけで勉強したはずの10人と比較してみる。
この人たちは、変体仮名を使っている人でも、1文書に最大2種類しか使っていない。
井家又一の年齢はわからないが、この人たちと同じか、
もしくは、より若いくらいに見積もるべきだと考えると、
11種類もの変体仮名の使用は、尋常な数ではない。
1890年から1893年生まれ(45歳〜47歳)の人にまで、範囲を広げてみても、
5・6種類が多い方で、それも、相手に非常に気を使った手紙ばかりである。
井家又一日記に近い頻度で変体仮名を使っている例を探すと、
口語文に限ると、九条武子(50歳)・有島武郎(59歳)・
五十嵐力(63歳)・竹本土佐太夫(74歳)で、
年齢が、一般兵のそれをはるかに上回る人たちであり、
どれも相手に非常に気を使った手紙である。
○1行目「しまった(志満っ多)」の「満」の字の、日本人の用例から考えると、
69歳・81歳・101歳の人が、「めでたさ、肯定、華やぎ」を含ませるために使っているもので、
一般兵士の虐殺日記に使われると違和感が甚だしい。
○日本人の手書き手紙には、画数の多い数字(大字)を使ったものは、1点も存在しない。
以上、174点の日本人の手書き手紙をUPしての、成果の例です。
先生がおっしゃるように戦後の回想録であるならば、こんな変体仮名多用の文章は書かないでしょうし、
戦前に書いたのなら、戦後に始まった現代かな遣い「いる」
が出てくるはずはありません。
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秦郁彦著『南京事件』中公新書p131掲載の
南京事件元兵士日記の、現物写真版「井家又一日記」を、私が、自分のホームページにUPしています。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html
また私は、幕末(1835年)から1904年までに生まれた、
日本人の手書き手紙の写真版(正確には影印版)
174点もUPしております。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/1894nennikouniumaretahitonomoji.html
この両者を比較して、井家又一日記は偽作であると結論した論文を、
現在、古文書学会に提出中です。
平凡社から『南京事件論争史』を出しておられる、笠原十九司先生から、
平凡社編集氏経由で、先生のお名前の、お返事をいただきました。
私が平凡社編集部あてに質問を回してほしい旨、依頼を出してあったのです。
2月頃の問い合わせだったでしょうか。
この頃はまだ、日本人手書き手紙174点は全部UPしておらず、
先生のお返事にもかなり制約があると思いますが、
4ヶ月くらいたった6月19日に、先生からお返事をいただきました。
笠原先生ご署名入り(ただし電子メールに添付されたワープロ文書ファイル)をいただきました。
「井家又一日記は、戦場で戦闘中に書かれた正真正銘の「陣中日記」ではなく、
まとまった休養時間ができた時にゆっくり書いたものだろう。
戦後書かれたものであったとしても、「回想録」としての史料的価値はある。
発見された元兵士の日記は全部疑う必要があるのでは、というのは、論理の飛躍である。」
先生のお返事の大体の内容はこんなものですが、
私は6月15日付けで出した日本古文書学会向け論文(原稿用紙換算約26枚)で、私の視点として、
井家又一日記について、数多くの奇妙な部分を指摘しています。
笠原先生には、まだ読んでおられないはずの私の指摘に対し、
秦郁彦著の写真版井家又一日記が、確かに元兵士が書いたものだ、と、
証明する義務があると思うのです。
私の指摘の主な部分だけですが、以下に紹介しておきます。
(記者)氏も、ご自分で考えてみていただけないでしょうか。
○変体仮名の使用頻度が尋常ではない。
写真版・井家又一日記の334文字の内、仮名は172文字ある。
そしてその内、「く」「な」の古い字体を含む変体仮名は、全部で11種類40文字ある。
これを、昭和10年刊行・平凡社『手紙講座』の、
1894年から1904年までに生まれた(南京事件の頃には33歳から43歳)、
小学校で現代ひらがなだけで勉強したはずの10人と比較してみる。
この人たちは、変体仮名を使っている人でも、1文書に最大2種類しか使っていない。
井家又一の年齢はわからないが、この人たちと同じか、
もしくは、より若いくらいに見積もるべきだと考えると、
11種類もの変体仮名の使用は、尋常な数ではない。
1890年から1893年生まれ(45歳〜47歳)の人にまで、範囲を広げてみても、
5・6種類が多い方で、それも、相手に非常に気を使った手紙ばかりである。
井家又一日記に近い頻度で変体仮名を使っている例を探すと、
口語文に限ると、九条武子(50歳)・有島武郎(59歳)・
五十嵐力(63歳)・竹本土佐太夫(74歳)で、
年齢が、一般兵のそれをはるかに上回る人たちであり、
どれも相手に非常に気を使った手紙である。
○1行目「しまった(志満っ多)」の「満」の字の、日本人の用例から考えると、
69歳・81歳・101歳の人が、「めでたさ、肯定、華やぎ」を含ませるために使っているもので、
一般兵士の虐殺日記に使われると違和感が甚だしい。
○日本人の手書き手紙には、画数の多い数字(大字)を使ったものは、1点も存在しない。
以上、174点の日本人の手書き手紙をUPしての、成果の例です。
先生がおっしゃるように戦後の回想録であるならば、こんな変体仮名多用の文章は書かないでしょうし、
戦前に書いたのなら、戦後に始まった現代かな遣い「いる」
が出てくるはずはありません。