笠原十九司が嘘出鱈目のオンパレード!
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/07/24 19:14 投稿番号: [40208 / 41162]
南京大虐殺の否定は恥ずかしい。国際的に日本の評価をおとしめている。
笠原十九司が嘘出鱈目のオンパレード!
恥かしいのはお前だ!
食料の補給はあり、住民の虐殺はなく、捕虜は保護した
笠原の超悪質捏造キャプション
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4724.html
(一部抜粋)
>軍中央は当初、戦線を拡大しない方針でしたが、現地最高司令官の松井石根(いわ・ね)大将=東京裁判で死刑=らが「南京を制圧すれば中国は屈服する」と、独断で兵を進めたのです。
当初一部に軍中央の方針を無視した言動があったのは事実だが、最終的に南京戦は軍中央も認めた。
南京に逃げ込んだ支那軍は日本の和平案を蹴って徹底抗戦を宣言していたのだから、戦争をやめたら反撃攻勢に遭うから継続は当然だった。
1937年11月2日、広田外相は正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の条件を提示した。
日本が提示した和平条件の内容を、ディルクセン駐日独大使は“穏当なもの、これなら支那側の面子も潰れないだろう”と言った。
後に、白崇禧将軍も「たったこれだけの条件なら、なんのための戦争か」と言ったくらいだ。
日本の穏当な和平条件は、トラウトマン駐支独大使から、11月6日、支那に伝えられた。
ところが、蒋介石はこれを蹴った!
一部の日本の将軍には南京への進撃を訴えていが、参謀本部は許可しなかった。
しかし、日本の参謀本部も、蒋介石が和平に応じず戦争継続を公言したため、いつまでも“南京進撃”を抑制する事はできなくなった。
>上海から南京までの距離は約300キロ。東京から名古屋の手前までぐらい。この間、後方から装備や食料の補給はなく、兵たちは略奪を繰り返した。
「食料の補給がなかった」などというのは大嘘だ!
食料の補給もあったし、足りない分は現地で金を払って十分に調達できていた。
松井石根日記をまとめると、
11月18日、糧食は太倉その他の所在地に相当多量現存、心配する必要ない。
11月22日、前進に追いつけないので飛行機より投下
11月27日、ここ10日以内には補給がまともにできるようになるだろう。
となる。
11月19日が蘇州陥落で22日が蘇州出発だから、松井大将の日記は、その時のことを補足している。
つまり、物資はあったけど輸送に限界があったため一時途切れたりはしたが、補給はちゃんと行なっていたのだ。
>そのなかで住民の殺害や強姦(ごう・かん)も横行しました。
これも酷い大嘘だ!
日本軍による住民の殺害は1件も無かった。
「住民の殺害があった」と言うなら、笠原十九司は具体的な事例を挙げてみろ!
また、日本軍が南京で把握した強姦件数は、10件程度しかなかった。
>しかし食料がないのですから、捕虜を収容できません。捕虜の人道的な扱いなどを取り決めたハーグ陸戦法規を無視し、既に戦闘を放棄した中国兵を次々と殺害しました。
日本軍は南京だけでも1万人以上の捕虜を収容して保護し、最後まで生存させた。
今回笠原のインタビュー記事を書いた朝日新聞の当時の記事が証拠だ!
「捕虜1万5百」
朝日新聞 昭和12年12月29日
にもかかわらず、朝日新聞が笠原十九司の大嘘をそのまま垂れ流しているのだから呆れる!
一方、支那軍は、負傷や投降して捕まえた日本兵を捕虜として保護することは全くなかった。
支那軍の場合には、捕まえた日本兵を「反戦兵士」にする僅かな者を除いて全員惨殺した。
支那軍に捕まった日本兵全員があまりにも惨たらしく虐殺されていたので、陸軍は1941年1月に示達した「戦陣訓」の中に、「生きて虜囚の辱を受けず」という有名なくだりを挿入した程だ。
>従軍慰安婦の問題と同じく、否定論をふりまくことは被害者を二重に苦しめます。それが、どんなに国際的に恥ずかしく、日本の評価をおとしめているか。なぜ、そこに思いが至らないのか。
恥ずかしいのはオマエだ!!
もしも俺が笠原十九司だったら恥かしくて生きていられない!
笠原十九司が嘘出鱈目のオンパレード!
恥かしいのはお前だ!
食料の補給はあり、住民の虐殺はなく、捕虜は保護した
笠原の超悪質捏造キャプション
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4724.html
(一部抜粋)
>軍中央は当初、戦線を拡大しない方針でしたが、現地最高司令官の松井石根(いわ・ね)大将=東京裁判で死刑=らが「南京を制圧すれば中国は屈服する」と、独断で兵を進めたのです。
当初一部に軍中央の方針を無視した言動があったのは事実だが、最終的に南京戦は軍中央も認めた。
南京に逃げ込んだ支那軍は日本の和平案を蹴って徹底抗戦を宣言していたのだから、戦争をやめたら反撃攻勢に遭うから継続は当然だった。
1937年11月2日、広田外相は正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の条件を提示した。
日本が提示した和平条件の内容を、ディルクセン駐日独大使は“穏当なもの、これなら支那側の面子も潰れないだろう”と言った。
後に、白崇禧将軍も「たったこれだけの条件なら、なんのための戦争か」と言ったくらいだ。
日本の穏当な和平条件は、トラウトマン駐支独大使から、11月6日、支那に伝えられた。
ところが、蒋介石はこれを蹴った!
一部の日本の将軍には南京への進撃を訴えていが、参謀本部は許可しなかった。
しかし、日本の参謀本部も、蒋介石が和平に応じず戦争継続を公言したため、いつまでも“南京進撃”を抑制する事はできなくなった。
>上海から南京までの距離は約300キロ。東京から名古屋の手前までぐらい。この間、後方から装備や食料の補給はなく、兵たちは略奪を繰り返した。
「食料の補給がなかった」などというのは大嘘だ!
食料の補給もあったし、足りない分は現地で金を払って十分に調達できていた。
松井石根日記をまとめると、
11月18日、糧食は太倉その他の所在地に相当多量現存、心配する必要ない。
11月22日、前進に追いつけないので飛行機より投下
11月27日、ここ10日以内には補給がまともにできるようになるだろう。
となる。
11月19日が蘇州陥落で22日が蘇州出発だから、松井大将の日記は、その時のことを補足している。
つまり、物資はあったけど輸送に限界があったため一時途切れたりはしたが、補給はちゃんと行なっていたのだ。
>そのなかで住民の殺害や強姦(ごう・かん)も横行しました。
これも酷い大嘘だ!
日本軍による住民の殺害は1件も無かった。
「住民の殺害があった」と言うなら、笠原十九司は具体的な事例を挙げてみろ!
また、日本軍が南京で把握した強姦件数は、10件程度しかなかった。
>しかし食料がないのですから、捕虜を収容できません。捕虜の人道的な扱いなどを取り決めたハーグ陸戦法規を無視し、既に戦闘を放棄した中国兵を次々と殺害しました。
日本軍は南京だけでも1万人以上の捕虜を収容して保護し、最後まで生存させた。
今回笠原のインタビュー記事を書いた朝日新聞の当時の記事が証拠だ!
「捕虜1万5百」
朝日新聞 昭和12年12月29日
にもかかわらず、朝日新聞が笠原十九司の大嘘をそのまま垂れ流しているのだから呆れる!
一方、支那軍は、負傷や投降して捕まえた日本兵を捕虜として保護することは全くなかった。
支那軍の場合には、捕まえた日本兵を「反戦兵士」にする僅かな者を除いて全員惨殺した。
支那軍に捕まった日本兵全員があまりにも惨たらしく虐殺されていたので、陸軍は1941年1月に示達した「戦陣訓」の中に、「生きて虜囚の辱を受けず」という有名なくだりを挿入した程だ。
>従軍慰安婦の問題と同じく、否定論をふりまくことは被害者を二重に苦しめます。それが、どんなに国際的に恥ずかしく、日本の評価をおとしめているか。なぜ、そこに思いが至らないのか。
恥ずかしいのはオマエだ!!
もしも俺が笠原十九司だったら恥かしくて生きていられない!