沖縄でも歴史改竄の動きがあり・・・
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/05/21 01:11 投稿番号: [39902 / 41162]
★許せない、着々と進む歴史の改ざん。
4月23日 沖縄タイムス
【32軍】壕「慰安婦は史実」検討委が反論
県が第32軍司令部壕の説明板から「慰安婦」「住民虐殺」を削除した問題のシンポジウムが22日、那覇市であり、文案をまとめた検討委員が経過を報告した。
会場から「記述は日本軍をおとしめる」と批判が出たのに対し、検討委の池田榮史委員長(琉球大教授)らは「32軍がどういう軍隊だったのか、史実を明らかにしているにすぎない」と反論した。
質疑応答の時間に、自衛隊OBでつくる県隊友会の元副会長、奥茂治さんが発言した。削除を求めて県に意見書を出したと明らかにした上で、軍命令の中で壕内に女性が居たことが明記されている料亭「若藤」楼について「慰安所なのか」と質問した。
これに対し、村上有慶委員は「若藤楼は軍命で『玉倶楽部』という民営の慰安所になった」と説明。池田委員長は「若藤楼に慰安婦にならざるを得なかった女性たちがいて、32軍壕にいたことは事実だ」と指摘した。
県が独断で文言を削除し、検討委員と話し合う前に説明板を設置したことについて、池田委員長は「外部委員会を愚弄(ぐろう)するやり方。県は今後、答申など聞かないと宣言するようなものだ」と批判した。今後、検討委として文案を再度まとめ、公表する考えを示した。
沖縄平和ネットワークの北上田源さんは、平和ガイドの立場から報告。「32軍壕は、日本軍の加害を兵士個人の問題として例外化させず、組織の問題として語る場として重要だ」と強調した。
会場となった那覇市の教育福祉会館には、約80人が集まった。参加者は「『慰安婦』『住民虐殺』は軍隊は住民を守らないという沖縄戦の本質を語る上で欠かせない実相」として、検討委の継続開催と説明板の見直しを求めるアピールを採択した。
4月2日 琉球新報
チビチリガマで慰霊祭 戦後67年目の祈り
・・・
http://teyata.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/02/post_ecec.html
【32軍】は中国において南京大虐殺に関わり、
その後沖縄にも渡った札付きの
天皇の軍隊・・↓
★文中に出てくる参謀長とは長勇陸軍中将である。長は南京大虐殺にも上海派遣軍兼中支那方面軍情報参謀として深く関わっている。秦郁彦『南京事件』(中公新書)には、長と慰安所の関わりが記されている。
〈平時から兵士の性処理に遊郭などを活用してきた軍幹部が、戦地の強姦予防に慰安婦の投入を着想したのは自然であった。第一次上海事変でも小規模な例があったとされるが、千田夏光氏の調査によると、日中戦争では、軍の要請で御用商人が北九州の遊郭から集めて十二年末、上海に開設したのが慰安所(正式名称は「陸軍娯楽所」)第一号とされている。
上海派遣軍では、長参謀が主任となって幕僚会議で方針を決め、十三年正月の前後に南京でも慰安所が開設され、またたく間に各駐屯地に広がった。その一つである常州慰安所の「使用規定」(十三年三月)なるものを見ると、「慰安ノ道ヲ講ジテ軍規粛正ノ一助トナサントスルニ在リ」と宣言している。
それなりの効果はあったようだが、十三年春以降、戦線が拡大すると、部隊が慰安婦を連れて進撃するのが慣例化し、なかには第一線より進みすぎた彼女たちの一行が包囲されて救出部隊がかけつける珍事も起きたという。
近代戦史に珍しい慰安婦随伴の日本軍という姿は、南京事件がきっかけになって確立されたといえそうだ〉(P238〜239)。
【秦によれば〈慰安婦随伴の日本軍という姿〉を作った中心人物が長勇だったことになる。その人物が第32軍の参謀長として司令部壕にいたことの意味も考えたい。】・・・
http://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/940429da80f6cb20bfc691952d8adcfe
4月23日 沖縄タイムス
【32軍】壕「慰安婦は史実」検討委が反論
県が第32軍司令部壕の説明板から「慰安婦」「住民虐殺」を削除した問題のシンポジウムが22日、那覇市であり、文案をまとめた検討委員が経過を報告した。
会場から「記述は日本軍をおとしめる」と批判が出たのに対し、検討委の池田榮史委員長(琉球大教授)らは「32軍がどういう軍隊だったのか、史実を明らかにしているにすぎない」と反論した。
質疑応答の時間に、自衛隊OBでつくる県隊友会の元副会長、奥茂治さんが発言した。削除を求めて県に意見書を出したと明らかにした上で、軍命令の中で壕内に女性が居たことが明記されている料亭「若藤」楼について「慰安所なのか」と質問した。
これに対し、村上有慶委員は「若藤楼は軍命で『玉倶楽部』という民営の慰安所になった」と説明。池田委員長は「若藤楼に慰安婦にならざるを得なかった女性たちがいて、32軍壕にいたことは事実だ」と指摘した。
県が独断で文言を削除し、検討委員と話し合う前に説明板を設置したことについて、池田委員長は「外部委員会を愚弄(ぐろう)するやり方。県は今後、答申など聞かないと宣言するようなものだ」と批判した。今後、検討委として文案を再度まとめ、公表する考えを示した。
沖縄平和ネットワークの北上田源さんは、平和ガイドの立場から報告。「32軍壕は、日本軍の加害を兵士個人の問題として例外化させず、組織の問題として語る場として重要だ」と強調した。
会場となった那覇市の教育福祉会館には、約80人が集まった。参加者は「『慰安婦』『住民虐殺』は軍隊は住民を守らないという沖縄戦の本質を語る上で欠かせない実相」として、検討委の継続開催と説明板の見直しを求めるアピールを採択した。
4月2日 琉球新報
チビチリガマで慰霊祭 戦後67年目の祈り
・・・
http://teyata.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/02/post_ecec.html
【32軍】は中国において南京大虐殺に関わり、
その後沖縄にも渡った札付きの
天皇の軍隊・・↓
★文中に出てくる参謀長とは長勇陸軍中将である。長は南京大虐殺にも上海派遣軍兼中支那方面軍情報参謀として深く関わっている。秦郁彦『南京事件』(中公新書)には、長と慰安所の関わりが記されている。
〈平時から兵士の性処理に遊郭などを活用してきた軍幹部が、戦地の強姦予防に慰安婦の投入を着想したのは自然であった。第一次上海事変でも小規模な例があったとされるが、千田夏光氏の調査によると、日中戦争では、軍の要請で御用商人が北九州の遊郭から集めて十二年末、上海に開設したのが慰安所(正式名称は「陸軍娯楽所」)第一号とされている。
上海派遣軍では、長参謀が主任となって幕僚会議で方針を決め、十三年正月の前後に南京でも慰安所が開設され、またたく間に各駐屯地に広がった。その一つである常州慰安所の「使用規定」(十三年三月)なるものを見ると、「慰安ノ道ヲ講ジテ軍規粛正ノ一助トナサントスルニ在リ」と宣言している。
それなりの効果はあったようだが、十三年春以降、戦線が拡大すると、部隊が慰安婦を連れて進撃するのが慣例化し、なかには第一線より進みすぎた彼女たちの一行が包囲されて救出部隊がかけつける珍事も起きたという。
近代戦史に珍しい慰安婦随伴の日本軍という姿は、南京事件がきっかけになって確立されたといえそうだ〉(P238〜239)。
【秦によれば〈慰安婦随伴の日本軍という姿〉を作った中心人物が長勇だったことになる。その人物が第32軍の参謀長として司令部壕にいたことの意味も考えたい。】・・・
http://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/940429da80f6cb20bfc691952d8adcfe