昭和10年平凡社『手紙講座』・全巻UP
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/02/09 14:34 投稿番号: [38710 / 41162]
現在私は、秦郁彦著『南京事件「虐殺の構造」増補版』中公新書p131の、
「井家又一日記」の手書き文字の写真版を、私ホームページにUPしています。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html
捕虜335人を殺害したと証言する、異常な日の個人日記の一部です。
手書きしたことを考えれば、長い文だと思います。
しかしこの日記は、昭和10年の日本の著名人の筆跡に比べれば、非常に達筆流麗な文字です。
昭和10年刊・平凡社『手紙講座』
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/tegamikouzazenn.html
の170人、全部の手書き文字例をUPしました。
(手書きの画像画面から戻るには、パソコン最上段のタイトルバーのすぐ下の「←」で戻る必要あり)
昭和10年平凡社『手紙講座』から、
1894年以降に生まれた人(南京事件の昭和12〔1937〕年に43歳から33歳の人)、
1890年から1893年までに生まれた人、
1885年から1889年までに生まれた人、と、
年代別の手書き文字もUPしました。http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html
このように年代別に整理したのは、1901年から実施となった、
小学校での「現代ひらがな」教育の影響が、手書き文字に与えた影響を見るためです。
井家又一日記の写真版を、下の解読文、前頁その他のリンクページと照合して、よく見ていただきたいと思います。
1、筆致・筆勢、
2、字形の整え方、
3、字配り、
4、画数の多い数字「大字」や草漢字風の変体がなの使用、
5、戦後に使われるようになった新かな遣い「いる」や、兵士は使わなかった「捕獲」という言葉遣い、
6、文章上の文法間違い「本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時」とか「眺めらされる」
などは、昭和10年の著名人の、平穏な日常の相手を意識した手紙と比べると、
戦場に不似合いな凝り過ぎた文字、逆にそれに反する奇妙な間違い、など、
戦場日記としても、戦前の日本人の手紙としても、あまりにも違和感があると思うのです。
ところが秦郁彦氏は、自ら検閲体制の厳重さを言っているにもかかわらず(p22)、
「これをどうやって日本に持ち込んだか」については「一言も言及しないで」、
証拠物件として扱っています。(これは笠原十九司『南京事件論争史』平凡社でも同じです)
検閲をくぐりぬけてどうやって持ち込むか、は、
兵士にとって非常にスリリングな課題だと思うのですが、「誰も」それを問題にしません。
本当に南京事件当時のものを、兵士たちが日本に持ち込んだのでしょうか?
戦後の中国の偽作ではないでしょうか?
南京事件では多数の元兵士の日記が発掘されています。
その内、A級戦犯として処刑された松井石根大将他、井家又一日記を含む18篇が、
偕行社(戦没者慰霊を目的とする公益法人)刊『南京戦史資料集』に掲載されています。
しかしこの井家又一日記の奇妙さが、
戦前戦後の変化のわかる、草書変体仮名の解読者にも指摘されないのであれば、
偕行社『南京戦史資料集』に掲載された他の17篇の日記も、
奇妙さがあっても指摘されないことになるでしょう。
つまり、発見された元兵士の日記は、「全部疑う必要がある」のではないか、
と思うのです。
南京事件関連の現代史議論の担い手は、原本の手書きに、関心がない方ばかりとお見受けします。
私には、この手書き・井家又一日記は、335名の捕虜を殺害した日に、
日本兵の手で書かれたものとは、思えません。
教科書に載せるなら、元兵士日記の現物に関しては、その真贋を明確にするべく、
是非、日記全体の姿、全ページの公開を、やるべきです。
「井家又一日記」の手書き文字の写真版を、私ホームページにUPしています。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html
捕虜335人を殺害したと証言する、異常な日の個人日記の一部です。
手書きしたことを考えれば、長い文だと思います。
しかしこの日記は、昭和10年の日本の著名人の筆跡に比べれば、非常に達筆流麗な文字です。
昭和10年刊・平凡社『手紙講座』
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/tegamikouzazenn.html
の170人、全部の手書き文字例をUPしました。
(手書きの画像画面から戻るには、パソコン最上段のタイトルバーのすぐ下の「←」で戻る必要あり)
昭和10年平凡社『手紙講座』から、
1894年以降に生まれた人(南京事件の昭和12〔1937〕年に43歳から33歳の人)、
1890年から1893年までに生まれた人、
1885年から1889年までに生まれた人、と、
年代別の手書き文字もUPしました。http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html
このように年代別に整理したのは、1901年から実施となった、
小学校での「現代ひらがな」教育の影響が、手書き文字に与えた影響を見るためです。
井家又一日記の写真版を、下の解読文、前頁その他のリンクページと照合して、よく見ていただきたいと思います。
1、筆致・筆勢、
2、字形の整え方、
3、字配り、
4、画数の多い数字「大字」や草漢字風の変体がなの使用、
5、戦後に使われるようになった新かな遣い「いる」や、兵士は使わなかった「捕獲」という言葉遣い、
6、文章上の文法間違い「本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時」とか「眺めらされる」
などは、昭和10年の著名人の、平穏な日常の相手を意識した手紙と比べると、
戦場に不似合いな凝り過ぎた文字、逆にそれに反する奇妙な間違い、など、
戦場日記としても、戦前の日本人の手紙としても、あまりにも違和感があると思うのです。
ところが秦郁彦氏は、自ら検閲体制の厳重さを言っているにもかかわらず(p22)、
「これをどうやって日本に持ち込んだか」については「一言も言及しないで」、
証拠物件として扱っています。(これは笠原十九司『南京事件論争史』平凡社でも同じです)
検閲をくぐりぬけてどうやって持ち込むか、は、
兵士にとって非常にスリリングな課題だと思うのですが、「誰も」それを問題にしません。
本当に南京事件当時のものを、兵士たちが日本に持ち込んだのでしょうか?
戦後の中国の偽作ではないでしょうか?
南京事件では多数の元兵士の日記が発掘されています。
その内、A級戦犯として処刑された松井石根大将他、井家又一日記を含む18篇が、
偕行社(戦没者慰霊を目的とする公益法人)刊『南京戦史資料集』に掲載されています。
しかしこの井家又一日記の奇妙さが、
戦前戦後の変化のわかる、草書変体仮名の解読者にも指摘されないのであれば、
偕行社『南京戦史資料集』に掲載された他の17篇の日記も、
奇妙さがあっても指摘されないことになるでしょう。
つまり、発見された元兵士の日記は、「全部疑う必要がある」のではないか、
と思うのです。
南京事件関連の現代史議論の担い手は、原本の手書きに、関心がない方ばかりとお見受けします。
私には、この手書き・井家又一日記は、335名の捕虜を殺害した日に、
日本兵の手で書かれたものとは、思えません。
教科書に載せるなら、元兵士日記の現物に関しては、その真贋を明確にするべく、
是非、日記全体の姿、全ページの公開を、やるべきです。