南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

人々が目撃した南京市の「その時」(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/17 23:48 投稿番号: [38232 / 41162]
日本軍兵士のよる虐殺は、一部の不届き者が   衝動に駆られて
偶発的に引き起こしたものではないことが、多くの   目撃談や
記録資料によって   明白となっている。
前述した   海軍将校による記録の続きを   引用してみよう。

   十二月二十七日。この日は市内の西部を重点的に見回る予定
   であった。   が、前々日の光景が   あまりにも鮮明に記憶に
   残っていたので念のために、まず再び下関に行くことにした。
   下関の処刑場に近づくと、この日もまた、城内の方から、
   中国人を乗せた   無蓋のトラックが、続々とやってきて、
   倉庫地帯に消えていた。   再び、警戒中の哨兵にことわって、
   門を入ったところ、前々日と同じような処刑が行なわれていた。

   そこで、ある種の疑間が   生じた。
   それは、   「多数の中国人を   大した混乱もなく、どうして、
   ここまで連れてくることができるか」   ということであった。
   そこで、処刑場の入口付近にいた一人の下士官に、その理由を
   尋ねた。   ところが、彼は、何のためらいもなく、   「城内で、
   戦場の跡片付けをさせている中国人に、“腹のすいた者は手を
   上げよ”   と言って、手を上げた者を食事の場所に連れていく
   かのようにして、トラックに乗せている   とのことです」
   と説明してくれた。  

   そこで、更に、「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」
   と質間したところ、  
   「上官から、弾薬を   節約するために、そうするように
   命じられているからです」   との答が返ってきた。
   このような処刑が、南京占領から   二週間近くを経た後の
   二十五日と二十七日に   手際よく行なわれていた。

   もっとも二十六日と二十五日前と二十七日後に   どのような
   処刑が行なわれていたかは   分からなかったが(中略)
   二日間のことから察して、それが戦場にありがちな一時的な、
   興盲状態での対敵行動であるとは   私には思われなかった。
   この日もまた、一連の処刑が、ある種の統制のとれた行動で
   あるように感じた。

奥宮正武海軍少将が   大ウソつきでなければ、上記の手記は
軍人の目で見た   南京虐殺の実態を   正確に伝えるものだ。
さらに、奥宮は   次のように   所感を記述している。

   私は、この二日間に下関で見た   合計約二十台分の、
   言いかえれば、少なくとも合計五百人以上の中国人の
   処刑だけでも、大虐殺であった、と信じている。(略)
   そうだとすれば、それは、明らかに、国際法上の
   大間題ではないか   と思われた。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)