南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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「英霊」の大半が餓死という侵略軍の実態

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/11 00:45 投稿番号: [37365 / 41162]
中国大陸に武力侵攻した   日本軍が、南京などで   捕虜にした
多数の中国軍兵士を   組織的に   大量殺害した事件の背景に
補給線確保の軽視という   日本軍の特質が要因の一つとして
あったと考えられる。   自軍の給養さえ   困難な状況のうえに
予想を超える   大量の捕虜が発生し、給養に窮し殺害に及んだ
という証言や   軍関係史料などが、それを   裏付けている。

日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において   略奪行為などが   多発する事態をも招いた。
さらに、大戦の   全般を通じて   日本軍兵士の   戦死者のうち
直接の戦闘による死亡者数を   餓死者の数が   上回るという
およそ   近代軍とは   思えないような惨状を   招くものとなった。
なお、大量餓死の発生は、中国大陸においても   顕著だった。

太平洋の孤島や   南方の密林とは違って、多くの人々が住む
中国では、餓死者などはなかったと思われやすいが、敗戦前
2年間の中国戦場では   病死者は戦死者を   上回っていた。
歴史学者の藤原彰が『餓死した英霊たち』(青木書店・01年)
のなかで、1994年に刊行された長尾五一軍医中佐の遺著
『戦争と栄養』   などをもとに、その事実を   裏付けている。

中国戦線で   最後の作戦となった第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月〜6月の   3カ月間の死者数は   戦死が695人、
戦傷死322人、戦病死2184人、計3201人にのぼり、
「第二十軍の統帥発動以来終戦までの各種比率」については
「戦死、戦傷、戦病死   おおむね   4対5対91」   である。
(第二十軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表の注)

戦死、戦傷より「戦病死」が圧倒的だ。藤原はこの点について
「負傷した後に   包帯所や、野戦病院で死亡する者が多かった
ことは、患者の給養がきわめて悪かったことと無関係ではない。
これも広く餓死の分類に入る」   「病気の大部分が   長期間の
不十分な給養で、栄養失調状態にあって病気に対する抵抗力を
失っていたため、戦病死に至った」   と分析している。

中国戦線での   45万の戦没者の   過半数が   戦病死、しかも
給養不足に基づく   栄養失調や、それが原因での体力の消耗
による   広い意昧での   餓死であった   ということだ。
日本軍が、補給らしい補給もなしに   現地調達する方針は、
明治以来   一貫していた。   日清戦争でも朝鮮出兵軍からの
補給困難の訴えに対し、参謀本部は次のように訓令している。

「古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧を敵に因る)の一句あり。
爾来   内外の用兵にこれを奉じて原則となすゆえんのものは
この理由に外ならず。…糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、
いわんや   これを運搬する人夫においてをや…」
(明治27年6月29日、参謀総長熾仁親王から混成旅団長
大島義昌あての訓令)

「因糧於敵」、これが   侵略軍としての   行為の根本にあった。
日本軍兵士の   戦地栄養失調症を含む広い意味での餓死者は、
合計で127万6240名に達し、全体の戦没者212万の
約60%   という割合になる。   靖国神社が「英霊」として
誉め讃える戦死者のうちの半数以上が、華々しい戦いの中に
散ったのではなく、惨めな餓死と   衰弱死に   追いやられたのだ。
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