南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 徴発の実態

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/08/17 20:46 投稿番号: [36762 / 41162]
●食糧などの補給と調達

日本軍の食糧は、日本本土からの補給を原則としたが、輸送などの問題で補給が不如意になり現地調達する際にも、支那軍のように強奪するのではなく、カネを払って調達した。


調達

12月1日   第16師団の後方参謀・木佐木久少佐
奔牛鎮で米八百表、小麦1千表、砂糖百袋、小蒸気(発動機船)二杯(隻)を徴発せり。

12月4日   上海派遣軍参謀長・飯沼守少将の日記
「無錫に大工場多く且倉庫櫛比す」
「本日、白米、軍の約一か月分、塩大麦燕麦多量徴発せり」

このような大量の食糧が、普通の民家に隠されているわけがないので、公的機関か商業関係の倉庫にあったもの。
「南京攻撃を前に無錫で大量に食糧を徴発したことで、主食に関しては輸送の問題を除いてほぼ解決した」(榊原証言)

ただ、南京米はポロポロだというので、不評を買った。
尚、徴発や労役に関しては、原則として現金を支払った。

貨幣は最初、日本銀行券と法幣を使ったが、当時、日本の国際収支がよくなく、外貨準備も裕福でなかったので、内地の円に影響が現れ、金融面、為替管理に不都合を生じた。

その為、急遽、10月の閣議で軍票の発行が決まり、11月の第十軍杭州湾上陸から、軍票支払いに切り替わった。



輸送の問題

食糧自体に心配はなかったが、輸送が隘路だった。日本軍は上海付近だけで行動する予定だった為、南京まで物資を輸送する自動車が足りなかった。鉄道は破壊されて使えない。


松井石根日記には次のようにある。

11月18日
「軍ノ追撃二伴ヒ蘇州河、劉河及白茆河、又ハ滸浦河ヲ利用シ主トシテ水運二依リ一部ノ陸路輸送ト相俟テ概ネ其目的ヲ達成スヘキ見込ミナルヲ知ル。尤モ太倉其他所在ノ地二相当多量現存セルヲ以テ一時糧食ノ補給ヲ欠クモ糧秣ハ心配スルヲ要セス」

11月22日
「両軍ノ補給ハ連日ノ追撃前進二伴ハス已ムナク飛行機ヲ以テ空中ヨリ糧食・弾薬ヲ投下シ其急ヲ救フノ状ナリシカ、今日ノ晴天御蔭シ今後逐日其状勢ヲ恢復スルコトヲ得ン」

11月27日
「両軍ノ後方補給ハ軍ノ追撃二伴ハス、一時困難の状勢ニアリシカ、天候の恢復ト地方舟楫ノ整備ニヨリ漸次ニ補給力ヲ増加シツツアリ。此処旬日ノ間ニハ概ネ両軍共ニ補給ノ整正ヲ得ルニ至ルヘシ」    『南京戦史資料集?』

以上、板倉由明著『本当はこうだった南京事件』P355〜P361より抜粋要約引用



まとめると、

11月18日、糧食は太倉その他の所在地に相当多量現存、心配する必要ない。

11月22日、前進に追いつけないので飛行機より投下

11月27日、ここ10日以内には補給がまともにできるようになるだろう。

となる。





■日本軍は金を払った

「1月25日(曇)きょうは、発電所に2名の使役をだす。分隊は正門から約2キロの部落へ、野菜と食糧の徴発に行った。しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)

「2月6日(晴後曇、時々小雪)   分隊の何名かを残して徴発に行く。土民も段々好意を持つようになった。軍票がないので、幾らかの日本銭を与えると『謝謝』と笑顔で送ってくれる。」(49頁)

「4月5日(晴)   きょうは勤務はない。昨日のこと(注:松江付近における敵の急襲)もあるので、いつ非常出勤があるかも知れない。野菜不足のため、城外に徴発に行く。農民は、我々がいつも金を与える関係で喜んで野菜を売ってくれる。またわれわれのためにすこし備蓄しておいてくれるらしい。」(72頁)

長谷川秋広上等兵の私家版『戦火の揚子江を行く』より引用
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