Re: 掲示板で「死ね」という言葉
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/06/18 15:59 投稿番号: [36336 / 41162]
<john_rlock>
私は「事実」という言葉をイマヌエルカント的に、認識に先立って存在するのではなく、認識主体によって差異のあるものととらえていました。ジャックデリダが「差延」と表現したように、事実はそれを認識したときにすでに同じものではない、空間的なズレ時間的なズレを生じます。そして権力者はそれを利用しているという事実のあり方、まただからこそそこに秩序というものが生まれるわけですが。
<中略>
まあ私はそういう話が好きな人間で、言葉に対して非常にこだわる悪い癖があります。
john_rlock くんがかいたこの件を読めば、事実と事実認識の区別が出来ていないだけなのが分かる。
言葉にこだわる割には、言葉に対しる認識力が足りないようだな。
事実認識にずれは生じるものだが、その元となる事実は普遍だ。
各々の事実に対するずれの中から、共通する事実認識を見出して共有することから、社会的な事実認識が生まれる。
だがそれは、時事を探究することとは別の話だ。
事実の探究とは、散在する事実認識の中で幾つか存在する共通認識が少数派なのか多数派なのかに関わらず、裏付けや確証の得られる認識をもつ共通認識を抽出検証する中で、認識の元にある事実を探り当てう事にある。
事実と言うものは、過去に限らず現在のことであっても、またその当事者であってもその事実を完全網羅して認識することはまず不可能なものだ。
だが一方で、何処の誰から見ても認識可能な明白な側面が事実にはあるものだ。
そういう点が共通認識となっている場合を世間では「明白な事実」と称する。
john_rlock くんが指摘を受けた「事実」とは、「明白な事実」の部分ですね。
これは メッセージ 36324 (john_rlock さん)への返信です.
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