バカだった森王害
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/05/06 10:49 投稿番号: [35155 / 41162]
王害は東京帝國大学で近代西洋医学を学んだ陸軍軍医(第一期生)であった。
医学先進国のドイツに4年間留学し、帰国した1889年(明治22年)8月 - 12月には陸軍兵食試験の主任をつとめた。
その試験は、当時の栄養学の最先端に位置していた。日清戦争と日露戦争に出征した王害は、小倉時代をのぞくと、つねに東京で勤務それも重要なポジションについており、最終的に軍医総監(中将相当)に昇進するとともに陸軍軍医の人事権をにぎるトップの陸軍省医務局長にまで上りつめた。
ビタミンの存在が知られていなかった当時、軍事衛生上の大きな問題であった脚気の原因について、医学界の主流を占めた伝染病説に同調した。
また、経験的に脚気に効果があるとされた麦飯について、海軍の多くと陸軍の一部で効果が実証されていたものの、麦飯と脚気改善の相関関係は(ドイツ医学的に)証明されていなかったため、科学的根拠がないとして否定的な態度をとり、麦飯を禁止する通達を出したこともあった。
日露戦争では、1904年(明治37年)4月8日、第2軍の戦闘序列(指揮系統下)にあった鶴田第1師団軍医部長、横井第3師団軍医部長が「麦飯給与の件を森(第2軍)軍医部長に勧めたるも返事なし」(鶴田禎次郎「日露戦役従軍日誌」)との記録が残されている(ちなみに第2軍で脚気発生が最初に報告されたのは6月18日)。
その「返事なし」はいろいろな解釈が可能であるが、少なくとも大本営陸軍部が決め、勅令(天皇名)によって指示された戦時兵食「白米6合」を遵守した。結果的に、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡する事態となった。
(これが日本初の人体実験ですね。)
これは メッセージ 35150 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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