mak7664647さんへ質問
投稿者: alde5894 投稿日時: 2010/09/02 23:55 投稿番号: [33809 / 41162]
第16師団の輜重兵だった、小原孝太郎氏の日記(1938年1月28日)には、次のような記述があります。
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先発部隊は三時頃から出発準備して、朝まだ暗き五時出発せり。我々は後続部隊として十時半出発。廐舎をきちんと整理して馬具をつけ、携帯品をすべて積載して出発準備完了。さあ愈々出発だ。四十日のなつかしき宿舎をあとに、小隊長の前へ進め!!と共に出発。なつかしきあの部屋をもう一度見、営門の「柄沢部隊庄司隊」を眺め乍ら出発した。既によき物あらば徴発せんとチャン公が潮の如く営門の所に堵列してゐて、まだ部隊が全部出ぬ先に営門から流れ込んで来た。
彼等は我々の出発をどうして知ったか。どこからこんなに集って来たのか、老若男女が蜘蛛の子を散らすやうに宿舎や廐舎の中に走りこんで行く。彼等にしてみれば食を得んが為めにであり、それはパンを得ることである。然し自分等としては、こんなに迄きちんと片付け、また後から這入ってくる部隊の為めに残しておいたものを、すぐ侵入してそこらあたりのもの手あたり次第舁き出したり、かきまはしたりせられるのはいゝ気持のものではない。自分等が愈々宿舎を出払ったと知るや、避難民が目の色かへて宿舎へ殺倒して行った。話によれば、避難民区は物価が高く物資の欠乏が甚だしく、どうしても生きるためにはこうして徴発しなければ致方がないのだ。しばらく下関行きをしなかった間に避難民が随分ふえてゐて、街に氾濫してゐた。
自分の家に帰った者もあるらしく、無断で他人に徴発されぬやう、戸口を板ではりつけたり鉄條網をはりつけてゐる家がちょいちょいあった。南京の守備隊も大分入れ替ったと見えて、看板が新しい部隊の名にかはってゐた。
『日中戦争従軍日記』(法律文化社)p163
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日記によれば南京陥落6週間後、南京を出ようとした第16師団の宿舎に大量の老若男女が押し入って兵士たちの目の前で後続部隊の食糧を根こそぎ略奪したそうですが、日本軍が数十万の中国人を大虐殺したのなら南京市民たちが何故そんな事をしたのか訳がわかりません。わかりやすいように説明してください。宜しくお願いいたします。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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