南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

従軍慰安婦(エンカルタ百科事典)

投稿者: hdgxe4aketzp60xe3u0dwac0hqzbevc 投稿日時: 2010/08/15 08:04 投稿番号: [33674 / 41162]
従軍慰安婦   じゅうぐんいあんふ   マイクロソフト・エンカルタ百科事典

日本軍の軍人や軍属を相手に組織的に性行為を強要された女性たち。日本軍が管理していた軍慰安所という施設の中で、彼女らは性的奴隷として自由のないままに生活し、朝から晩まで性行為を強いられた。1931年(昭和6)にはじまった十五年戦争期に、日本軍の占領地のほぼ全域にわたって、軍慰安所が設置された。その設置範囲は、30年代末に中国の各地へ、40年代前半には東南アジアや太平洋へとひろがっていき、その数は400以上ともいわれている。
軍人たちの性的欲求をみたすためだけであれば、民間の売春を利用するという方法もあった。それにもかかわらず日本軍や国が慰安所を設置したのは、次のような目的があったからである。まず、軍人による現地女性への強姦をふせぐことである。民間売春だけにたよっていては強姦をおさえることができないと考えられていた。次に、民間売春を通じて軍の情報が外部にもれるのをふせぐということである。そして、もっとも大きな目的は、強姦や民間売春によって軍内に性病(→ 性行為感染症)が広がるのをふせぐということであった。ちなみに、強姦や性病の防止という目的は、実際にはあまり達成されなかった。
慰安婦は、「女子挺身隊」という名前で募集されたことになっている。募集の範囲は日本だけでなく、当時植民地であった朝鮮と台湾、さらには中国や東南アジアの各地にまでひろがっていった。最終的な慰安婦の総人数は、8万人から20万人と推定されている。日本人女性の場合は、職業売春婦が本人の同意のもとに慰安婦となっていた。しかし、日本以外の各地であつめられた女性たちは、本人の同意は必要とされていなかった。そのため、植民地の警察や軍が、売春婦ではない少女たちを強制的にあつめ、慰安所へおくることがひろくおこなわれたのである。
強制的に女性たちを性行為につかせ、非人道的な扱いをしたこと。さらには、彼女らを戦地に置き去りにしたり、ひどい場合には殺害したこと。これらは明らかに日本軍や国の責任によっておこなわれたことである。しかし戦後も長い間、従軍慰安婦が重大な問題としてとりあげられることはなかった。それは、証拠となる関係書類のほとんどが処分されてしまい、証人となるべき人々も口をとざしてしまっていたためである。
1990年代にはいって、韓国やフィリピン、オランダ、中国の元慰安婦たちが、謝罪と補償をもとめて日本の政府や裁判所に訴えをおこした。これがきっかけとなって、ようやく従軍慰安婦問題は人々の注目をあつめるようになった。また、証拠書類も発見されたために、日本政府も軍と国がかかわっていたことを認めざるをえなくなったのである。しかし、日本政府は、国としての個人への賠償責任をみとめずに、民間基金によって補償をおこなおうとしている。これは、国の責任を民間におしつけるものとして、元慰安婦たちの批判をまねいた。
1994年(平成6)、国連の人権委員会も従軍慰安婦に関する責任処罰問題をとりあげる決議を採択し、95年には「女性に対する暴力特別報告官」を韓国と日本に派遣した。96年に採択された特別報告官報告(クマラスワミ報告)は、その付属文書で元従軍慰安婦個人に対する国家補償を日本政府にもとめるものであった(→ 従軍慰安婦報告書)。いっぽう日本政府は、国としてのおわびと反省を表明し、歴史の教訓とすることを発表し、民間の「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させた。国による補償はおこなわずに民間からの見舞金などを一時金としておくる方針は変更されず、団体や個人の募金活動がつづけられている。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)