シベリアに100万人抑留、50万人虐殺された
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2010/07/27 02:50 投稿番号: [33621 / 41162]
ソ連によってシベリアに強制連行・労働された日本軍将兵の人数は、正確には100万人以上だと思われます。
100万人以上抑留されたうち、50万人以上が殺害されたと思われます。
帰還したのが「52万人」であることは、ほぼ間違いありません(厚生省引揚援護局)。
問題は拉致被害者の人数ですが、実際には1945年8月に、満州、樺太、択捉、国後、その他から、いなくなった日本の将兵の人数は「105万人」だったようです。
105万(抑留)−52万(帰還)=53万(殺害犠牲)
―――――――――――――――――――
●今立鉄雄氏ー「日本しんぶんー日本人捕虜に対するソ連の政策」
・「終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約2百72万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後、僅か9ヶ月間にソ連の為、シベリアに送られた。推定ながら、シベリアの野に失った40万人の人々とその遺族の胸中を思いやっている」
●ウイリアム・ニンモ(米国の研究者)著ー「検証ーシベリア抑留」
・「1945年8月ソ連の管理下にあった日本人の人数は、272万6千人、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡・その他は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人がソ連によって殺された」
●アルハンゲリスキーの解明
・マリクがモロトフに宛てた文書では、「1946年12月4日付け政府決定に従い、ソ連からの日本人の本国帰還が緒に就いた。本国帰還該当者105万2,467人のうち既に10万1,075人が送還された」
・1947年3月5日付けの対日理事会でビジョン米代表が、日本捕虜帰国の現状に言及し、ソ連領内にまだ105万301人の日本人が残留していると述べたところ、1947年3月27日付けのマリクからモロトフ宛ての書簡では、ビジョンに反論するため「1947年3月5日現在ソ連内にいた軍人及び民間人の日本人は総計約70万人」としたのである。折りしも東西冷戦が本格化した時期で、以後、鉄のカーテンに阻まれ、抑留者の数、死者の数とも曖昧にされていく。
なぜ、こんな隠蔽工作をしたのかといえば、1945年から1947年にかけて大量の日本人がシベリアの地で死亡したからだ。とくに1945年から46年にかけての冬、シベリア全土を異常な寒気が襲い、日本人抑留者の命を次々と奪った。防寒服も防寒用の靴もなく、布テントに収容され、しかも食料も十分に与えられなかった日本人捕虜たちはひとたまりもなくシベリアの冬将軍の餌食をなった。
●シーボルト(対日理事会の米代表)
・夥しい数の日本人捕虜がシベリアで虐殺されたとして、日本側の資料を用い、次の数字をあげている。1945年だけで、27万2349人が死んだ。1945年から1949年までの4年間で、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、実に37万4041人にのぼる。
37万人を超える日本人捕虜がシベリアで殺された。死亡原因は疾病、野外留置、衣服の不足、栄養失調、極寒時の強制行進、過酷な労働とされている。広島、長崎の原爆を上回る我が同胞が、まさにスターリンによって虐殺された。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/marxsyugi1.html
100万人以上抑留されたうち、50万人以上が殺害されたと思われます。
帰還したのが「52万人」であることは、ほぼ間違いありません(厚生省引揚援護局)。
問題は拉致被害者の人数ですが、実際には1945年8月に、満州、樺太、択捉、国後、その他から、いなくなった日本の将兵の人数は「105万人」だったようです。
105万(抑留)−52万(帰還)=53万(殺害犠牲)
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●今立鉄雄氏ー「日本しんぶんー日本人捕虜に対するソ連の政策」
・「終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約2百72万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後、僅か9ヶ月間にソ連の為、シベリアに送られた。推定ながら、シベリアの野に失った40万人の人々とその遺族の胸中を思いやっている」
●ウイリアム・ニンモ(米国の研究者)著ー「検証ーシベリア抑留」
・「1945年8月ソ連の管理下にあった日本人の人数は、272万6千人、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡・その他は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人がソ連によって殺された」
●アルハンゲリスキーの解明
・マリクがモロトフに宛てた文書では、「1946年12月4日付け政府決定に従い、ソ連からの日本人の本国帰還が緒に就いた。本国帰還該当者105万2,467人のうち既に10万1,075人が送還された」
・1947年3月5日付けの対日理事会でビジョン米代表が、日本捕虜帰国の現状に言及し、ソ連領内にまだ105万301人の日本人が残留していると述べたところ、1947年3月27日付けのマリクからモロトフ宛ての書簡では、ビジョンに反論するため「1947年3月5日現在ソ連内にいた軍人及び民間人の日本人は総計約70万人」としたのである。折りしも東西冷戦が本格化した時期で、以後、鉄のカーテンに阻まれ、抑留者の数、死者の数とも曖昧にされていく。
なぜ、こんな隠蔽工作をしたのかといえば、1945年から1947年にかけて大量の日本人がシベリアの地で死亡したからだ。とくに1945年から46年にかけての冬、シベリア全土を異常な寒気が襲い、日本人抑留者の命を次々と奪った。防寒服も防寒用の靴もなく、布テントに収容され、しかも食料も十分に与えられなかった日本人捕虜たちはひとたまりもなくシベリアの冬将軍の餌食をなった。
●シーボルト(対日理事会の米代表)
・夥しい数の日本人捕虜がシベリアで虐殺されたとして、日本側の資料を用い、次の数字をあげている。1945年だけで、27万2349人が死んだ。1945年から1949年までの4年間で、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、実に37万4041人にのぼる。
37万人を超える日本人捕虜がシベリアで殺された。死亡原因は疾病、野外留置、衣服の不足、栄養失調、極寒時の強制行進、過酷な労働とされている。広島、長崎の原爆を上回る我が同胞が、まさにスターリンによって虐殺された。
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/marxsyugi1.html
これは メッセージ 33620 (konoyo_anoyo さん)への返信です.