Re: 英語教育 coffeeBAKAemonさん
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2010/05/02 21:20 投稿番号: [33243 / 41162]
【正論】お茶の水女子大学
藤原正彦
学ばせるべきは誇り高き日本の文化
2004/03/29, 産経新聞
■英語教育を小学校に導入する愚
≪教えられる子供達が気の毒≫
英語第二公用語論がやっと沈静したと思ったら、今度は手をかえて「小学校での英語必修化」が蠢(うごめ)き始めた。平成十四年に、国際理解教育の一環として公立小学校に導入された英語は、今や全国の小学校の半数以上で教えられている。平成十六年度には東京・荒川区で、英語を正式教科に格上げし、区内の全小学校で一年次より担任が教えることになるという。
小学校での英語に関しては保護者の要望も強く、この動きは今後全国に広がりそうである。この高まりを受けてか、小学校での英語必修化に強い意欲を持つ文部科学大臣は、中央教育審議会に実施に向けた検討を要請した。
小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かつては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったのが悪い」となった。
英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、生徒に一体なにを教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。
≪母国語こそが文化の中核≫
大ていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由につきる。何かが悪いからではない。日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。
英語は文法的にも文化背景から言っても、日本語からあまりにも遠い。アメリカ国務省は、外交官などのため外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難解とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟もわきにくい。
これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かつて欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席捲しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有(けう)の文化、人類の宝石とも言うべきものを、荒波から守るための神の思し召しと感謝してよい。
≪読書などの知的活動必要≫
英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。言うまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には伝達手段の巧拙でなく伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で四年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でも高々数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。
伝達手段の英語をマスターし、かつ自らの内容を豊かにすることは、並の日本人には不可能という辛い現実を、素直に国民に伝えねばならない。内容を豊かにするためには、読書を中心とした膨大な知的活動が必要であり、これが膨大な英語習得時間と、並の人間にとって両立しないのである。うまく両立させられる日本人は、千人に一人もいないと考えてよい。
ある統計によると、仕事の上で英語を必要としている人は一八パーセントに過ぎない。基本的に英語は、中学校で全員が学んだ後、必要に迫られている人や、そんな仕事につきたい人が猛勉強して身につければよいものである。この場合でも教養や見識は英語より上にくる。海外駐在商社マンも日本の文化や歴史を知らないと、しかるべき人間とみなされず商談の進まないことがある。
国をあげての英語フィーバーは、滑稽を通り越して醜態である。為政者は、国際化だ、ボーダーレス化だ、などと軽薄な時流に乗って国民を煽(あお)るより、真に誇るべき日本の文化や情緒を子供達にしっかり学ばせ、祖国への自信と誇りを持たせることが肝要と思う。(ふじわら まさひこ)
2004/03/29, 産経新聞
■英語教育を小学校に導入する愚
≪教えられる子供達が気の毒≫
英語第二公用語論がやっと沈静したと思ったら、今度は手をかえて「小学校での英語必修化」が蠢(うごめ)き始めた。平成十四年に、国際理解教育の一環として公立小学校に導入された英語は、今や全国の小学校の半数以上で教えられている。平成十六年度には東京・荒川区で、英語を正式教科に格上げし、区内の全小学校で一年次より担任が教えることになるという。
小学校での英語に関しては保護者の要望も強く、この動きは今後全国に広がりそうである。この高まりを受けてか、小学校での英語必修化に強い意欲を持つ文部科学大臣は、中央教育審議会に実施に向けた検討を要請した。
小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かつては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったのが悪い」となった。
英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、生徒に一体なにを教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。
≪母国語こそが文化の中核≫
大ていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由につきる。何かが悪いからではない。日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。
英語は文法的にも文化背景から言っても、日本語からあまりにも遠い。アメリカ国務省は、外交官などのため外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難解とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟もわきにくい。
これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かつて欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席捲しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有(けう)の文化、人類の宝石とも言うべきものを、荒波から守るための神の思し召しと感謝してよい。
≪読書などの知的活動必要≫
英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。言うまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には伝達手段の巧拙でなく伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で四年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でも高々数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。
伝達手段の英語をマスターし、かつ自らの内容を豊かにすることは、並の日本人には不可能という辛い現実を、素直に国民に伝えねばならない。内容を豊かにするためには、読書を中心とした膨大な知的活動が必要であり、これが膨大な英語習得時間と、並の人間にとって両立しないのである。うまく両立させられる日本人は、千人に一人もいないと考えてよい。
ある統計によると、仕事の上で英語を必要としている人は一八パーセントに過ぎない。基本的に英語は、中学校で全員が学んだ後、必要に迫られている人や、そんな仕事につきたい人が猛勉強して身につければよいものである。この場合でも教養や見識は英語より上にくる。海外駐在商社マンも日本の文化や歴史を知らないと、しかるべき人間とみなされず商談の進まないことがある。
国をあげての英語フィーバーは、滑稽を通り越して醜態である。為政者は、国際化だ、ボーダーレス化だ、などと軽薄な時流に乗って国民を煽(あお)るより、真に誇るべき日本の文化や情緒を子供達にしっかり学ばせ、祖国への自信と誇りを持たせることが肝要と思う。(ふじわら まさひこ)
これは メッセージ 33242 (deliciousicecoffee さん)への返信です.