南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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インドネシア独立に深く関わった日本の真相

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2004/09/12 11:44 投稿番号: [3002 / 41162]
インドネシアのムルデカ(独立)広場中央に聳える高さ137mの独立記念塔。この地下1階に、インドネシアの「三種の神器」(独立宣言書・独立時に掲揚された国旗・国章)が奉納されています。「第一の神器」は、スカルノ(初代大統領)とハッタがサインした独立宣言書なのですが、ここに記された日付は「05年8月17日」。インドネシアが独立したのは西暦1949年。なのに、日付に記された年は「05」年。実は、この「05」年は、当時、「昭和」と共に日本で使われていた「皇紀」(神武天皇の即位した紀元前660年を元年とする)で、「2605」年が略されたものなのです。


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  結論を言えば、インドネシア人は、近年の歴史において、初めて自分たち自身の将校を擁した、自分たち自身の軍事組織――日本人指導官によって監督されてはいたが――の中で戦闘員として訓練されたのである。なるほど、軍事訓練を受けることそれ自体は新しいことではない。それまでにも、何千名ものインドネシア人が戦前の蘭印軍に勤務していたのである。しかしハッタの次ぎの指摘のように、これまでとの違いが1つあった。即ち、蘭印軍の兵士は、国内の敵に対して戦うべく訓練された“傭兵”であったのに対し、義勇軍兵士は、外敵に対して戦うべく訓練された“祖国防衛兵”であった。ジャワ義勇軍やスマトラ義勇軍のインドネシア兵士は、ただ単に戦うために訓練され武装化されたのではない。新しい理論的根拠をも注ぎ込まれていた。即ち、彼らの祖国インドネシアを守るために戦うということである。ナスティオン将軍が適切にも観察しているように、防衛義勇軍(ペタ)には民族主義的な基礎を与えられていたのである。そして、その後、より多くの新兵が訓練され、さらに多くの大団が設立され、インドネシア人の軍事的能力が開発され、自信が強まるにつれて、その基礎はさらに強化されていったのである。

ジョージ・S・カナヘレ著『日本軍政とインドネシア独立』
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2605年8月17日インドネシア独立秘話
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/indonesia.html
(一部抜粋)
さて、ジャワを占領した日本軍はこの地で一体何をしたのでしょうか?   第一になされた事は「民心の安定」でした。それは、今村司令官の発した「布告第1号」に見る事が出来ます。

1.日本人とインドネシア人は同祖同族である
2.日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする
3.同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する

当時、植民地の住民にとって「共存共栄」等と言う言葉はとても信じられないものでした。なぜなら、欧米列強にとっての植民地とは、「支配者」と「被支配者」の関係でしかなかったからです。ところが日本軍は開口一番、「共存共栄」を唱えたのですから、住民が驚いたのも無理はありません。しかし、今村司令官の布告は終戦まで、決して破られる事はなかったのです。
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