シンガポール虐殺
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/22 15:42 投稿番号: [29777 / 41162]
【「BC級戦犯裁判」09.08.12日経新聞】
アジアのビジネス、観光拠点であるシンガポール。その玄関口のチャンギ空港は戦前は海岸であり、多くの華僑が日本軍によって処刑された場であることを知る日本人は少ない。
1941年12月の開戦後、マレー半島に上陸した日本の第25軍は破竹の勢いで進軍し、翌42年2月にシンガポールを陥れた。中国戦線で抗日分子に手を焼いた経験から、山下泰文司令官は憲兵隊などに華僑の摘発を命じた。
容疑者の選別は「インテリ風」などあいまいな基準で行われ、裁判なしの即決処刑だった。犠牲者は日本側が認めた数で5千人。地元では4、5万人といわれている。
作戦開始当初、山下司令官は「今時大戦の目的は大東亜共栄圏の確立にありて、敵はあくまでも米英蘭なり。華僑は大東亜民族の一員にして当然味方なり」と粛清に反対していたが、幕僚の強硬な意見に押し切られたという。
各地区で銃殺や銃剣による刺殺などが行われ、船で沖合いまで運び、突き落として水死させる残酷な方法も採られた。
粛清を起案したとされる辻政信参謀は「俺(おれ)はシンガポールの人口を半分にしようと思っている」(大西覚「秘録昭南華僑粛清事件」)と常軌を逸した指導をしたという。
(公園のように小さなシンガポールでも日本軍による大量虐殺が
おきている。まして、中国で日本軍が南京事件のような大虐殺を
行っても、なんら不思議ではない。)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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