731部隊の真実
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/14 15:00 投稿番号: [29552 / 41162]
生き残った被験者がナチスの人体実験では相当数いるのに対し、日本軍の人体実験では1人もいない。
生体解剖されればもちろん生き残ることはできなかったし、生体解剖されなかったとしても実験後に毒物を投与されたりして殺された。
また、七三一部隊では「マルタ」をまず感染実験に使い、もしそれで生き長らえたら次に凍傷実験に使い、それで四肢を失ってもなお生き残った被験者は毒ガス実験などに使って殺した。
しかも、ソ連軍の侵攻により撤退するときには、証拠隠滅のためにすべての「マルタ」が「処分」された。
こうした被験者の徹底的な「利用」ぶりもまた、はじめから人体実験に使って殺す目的で組織された石井機関と、思いつき的なナチスの人体実験との違いを際立たせている。
ナチスは絶滅収容所に入れられていた囚人をいわば場当たり的にピックアップして被験者としたのに対し、石井機関では憲兵隊や特務機関との連携のもとに「特移扱」という被験者調達システムが整えられていた。
これもまた日本軍の人体実験の組織性と計画性を物語っている。
このような連携は関東軍や陸軍首脳部の承認がなければ成り立たないので、「特移扱」は石井機関が国家ぐるみのプロジェクトであることをはっきり示すものであった。
日本軍とくに石井機関の、証拠隠滅と箝口令は徹底していた。
ナチスの場合、人体実験の証拠隠滅はそれほど組織的なものではなかったため、多くの証拠を後に残すことになった。
ニュルンベルク裁判の訴追資料は、ナチスの医学犯罪の全体像を描き出している。
これに対し、石井機関では証拠隠滅が徹底的に行われた。
そのため、ソ連の努力にもかかわらず東京裁判で表沙汰にすることは不可能だったし、ハバロフスク裁判や中国の戦犯裁判でも、石井機関の全体像は明らかにできなかった。
また、石井四郎は帰国する部隊員を「秘密は墓場まで持っていけ、もしバラすようなことがあったら、この石井はどこまでも追いかけるぞ」と恫喝し、
一、郷里に帰ったのちも、七三一に在籍していた事実を秘匿し、軍歴をかくすこと。
二、あらゆる公職には就かぬこと。
三、隊員相互の連絡は厳禁する。
と厳命した。
この厳命は戦後長く旧部隊員(なかでも下級隊員)を拘束し続ける。
彼らがこの秘匿命令に逆らってようやく重い口を開き始めたのは、それから35年あまり経った1980年代に入ってからだった。
こうした徹底ぶりもまた、石井機関の組織性の高さを表すものである。
ナチスの人体実験はニュルンベルク裁判で厳しく追及されたのに対し、日本軍の人体実験および生体解剖による大量殺害の場合は、石井四郎を筆頭ととする実行責任者がほとんど戦犯に問われなかった、という決定的な違いがある。
これは第一義的には正義よりも自国の利益を優先させた米国のせいだが、暴露されればまちがいなく窮地に陥るような行動をあえて米国がとったのは、思いつき的なナチスの人体実験が独占に値する成果をほとんど含んでいなかったのに対し、石井機関の人体実験は(秘密が保たれたことも含め)それだけ独占に値する成果を上げていたからだともいえる。
もちろん、最大の被害国である中国が内戦状態に陥ったこと、ソ連が石井機関の主要な幹部の身柄を拘束できなかったこと、米国は石井らの身柄は押さえたものの現地での捜査を行えなかったこと、そして東西の冷戦が米中ソ3国の捜査協力をまったく不可能にしてしまったこと、など、石井たちにとって都合のよい歴史的偶然が重なったことが、戦犯免責を可能にした。
生体解剖されればもちろん生き残ることはできなかったし、生体解剖されなかったとしても実験後に毒物を投与されたりして殺された。
また、七三一部隊では「マルタ」をまず感染実験に使い、もしそれで生き長らえたら次に凍傷実験に使い、それで四肢を失ってもなお生き残った被験者は毒ガス実験などに使って殺した。
しかも、ソ連軍の侵攻により撤退するときには、証拠隠滅のためにすべての「マルタ」が「処分」された。
こうした被験者の徹底的な「利用」ぶりもまた、はじめから人体実験に使って殺す目的で組織された石井機関と、思いつき的なナチスの人体実験との違いを際立たせている。
ナチスは絶滅収容所に入れられていた囚人をいわば場当たり的にピックアップして被験者としたのに対し、石井機関では憲兵隊や特務機関との連携のもとに「特移扱」という被験者調達システムが整えられていた。
これもまた日本軍の人体実験の組織性と計画性を物語っている。
このような連携は関東軍や陸軍首脳部の承認がなければ成り立たないので、「特移扱」は石井機関が国家ぐるみのプロジェクトであることをはっきり示すものであった。
日本軍とくに石井機関の、証拠隠滅と箝口令は徹底していた。
ナチスの場合、人体実験の証拠隠滅はそれほど組織的なものではなかったため、多くの証拠を後に残すことになった。
ニュルンベルク裁判の訴追資料は、ナチスの医学犯罪の全体像を描き出している。
これに対し、石井機関では証拠隠滅が徹底的に行われた。
そのため、ソ連の努力にもかかわらず東京裁判で表沙汰にすることは不可能だったし、ハバロフスク裁判や中国の戦犯裁判でも、石井機関の全体像は明らかにできなかった。
また、石井四郎は帰国する部隊員を「秘密は墓場まで持っていけ、もしバラすようなことがあったら、この石井はどこまでも追いかけるぞ」と恫喝し、
一、郷里に帰ったのちも、七三一に在籍していた事実を秘匿し、軍歴をかくすこと。
二、あらゆる公職には就かぬこと。
三、隊員相互の連絡は厳禁する。
と厳命した。
この厳命は戦後長く旧部隊員(なかでも下級隊員)を拘束し続ける。
彼らがこの秘匿命令に逆らってようやく重い口を開き始めたのは、それから35年あまり経った1980年代に入ってからだった。
こうした徹底ぶりもまた、石井機関の組織性の高さを表すものである。
ナチスの人体実験はニュルンベルク裁判で厳しく追及されたのに対し、日本軍の人体実験および生体解剖による大量殺害の場合は、石井四郎を筆頭ととする実行責任者がほとんど戦犯に問われなかった、という決定的な違いがある。
これは第一義的には正義よりも自国の利益を優先させた米国のせいだが、暴露されればまちがいなく窮地に陥るような行動をあえて米国がとったのは、思いつき的なナチスの人体実験が独占に値する成果をほとんど含んでいなかったのに対し、石井機関の人体実験は(秘密が保たれたことも含め)それだけ独占に値する成果を上げていたからだともいえる。
もちろん、最大の被害国である中国が内戦状態に陥ったこと、ソ連が石井機関の主要な幹部の身柄を拘束できなかったこと、米国は石井らの身柄は押さえたものの現地での捜査を行えなかったこと、そして東西の冷戦が米中ソ3国の捜査協力をまったく不可能にしてしまったこと、など、石井たちにとって都合のよい歴史的偶然が重なったことが、戦犯免責を可能にした。
これは メッセージ 29549 (nyankotyanndamon さん)への返信です.