南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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731部隊 - ハバロフスク裁判

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/10/14 09:07 投稿番号: [29541 / 41162]
米国との取引に失敗し、東京に出向いて石井らの尋問を行ってもまったく成果が得られなかったソ連は、捕虜にしていた関東軍や七三一部隊・一〇〇部隊などの関係者を、公開の軍事法廷で裁いた。

この公判は1949年12月25日から30日にかけて沿海州のハバロフスク市で行われたので「ハバロフスク裁判」と通称されている。

被告になったのは以下の12人。

  山田乙三(関東軍司令官、大将)
  梶塚隆二(関東軍軍医部長、軍医中将)
  高橋隆篤(関東軍獣医部長、獣医中将)
  川島清(七三一部隊第四部[製造部]長、軍医少将)
  柄沢十三夫(七三一部隊第四部課長、軍医少佐)
  西俊英(七三一部隊孫呉支部長[後に教育部長]、軍医中佐)
  尾上正男(七三一部隊牡丹江支部長、軍医少佐)
  佐藤俊二(第5軍軍医部長、軍医少将)
  平桜全作(一〇〇部隊研究員、獣医中尉)
  三友一男(一〇〇部隊員、軍曹)
  菊池則光(七三一部隊牡丹江支部衛生兵、上等兵)
  久留島祐司(七三一部隊林口支部衛生兵・実験手)

彼らの罪状は「ソ連最高ソヴィエト常任委員会法令第一条違反」で、細菌戦部隊の業務統轄・細菌戦の準備および細菌兵器製造・侵略戦争の開始など「日本帝国主義への積極的参加」の廉で山田・梶塚・高橋・佐藤が、人体実験を容認した罪で、山田・梶塚・高橋が、「波」部隊(広東の南支那派遣軍防疫給水部)と「栄」部隊(南京の中支那派遣軍防疫給水部)での細菌兵器製造を統轄した罪で、佐藤が、細菌兵器の研究と製造に参加した罪で、川島・柄沢・西・尾上・平桜が、中国に対する細菌戦の遂行と人体実験の遂行に参加した罪で、川島・柄沢が、ソ連に対する細菌謀略に参加した罪で、平桜が、細菌戦部隊の業務に参加した罪で、三友・菊池・久留島が、人体実験とソ連に対する細菌謀略に参加した罪で、三友が、それぞれ有罪となった。

刑はいずれも収容所での矯正労働で、刑期は山田・梶塚・高橋・川島が25年、柄沢が20年、西が18年、尾上が12年、佐藤が20年、平桜が10年、三友が15年、菊池が2年、久留島が3年だった。

彼らはモスクワから250kmほど東のイワノボ将官収容所に入れられましたが、刑期が長かった者も、1956年の日ソ国交回復に伴い(病死した高橋と自殺した柄沢を除いて)全員帰国した。

ソ連はこのハバロフスク裁判を、ニュルンベルク裁判や東京裁判に匹敵するものとして世界中に印象付けようとしたが、ソ連一国だけで行わざるを得ず、裁判団も検事も弁護人もすべてソ連人で、ソ連以外の報道機関による現地取材もなかったので、すでに始まっていた東西冷戦のさなか、ソ連の宣伝工作にすぎないとして西側各国からはほとんど黙殺されてしまった。

裁判の中身も、たとえば弁護人は日本帝国主義と財閥支配を非難して被告の情状酌量を求めるのみで具体的事実に関してはまったく争わず、被告たちもいっさい反論せず懺悔するばかり、という一方的な内容だった。

しかしながら、法廷に提出された証拠や、被告や証人の供述調書は、七三一部隊や一〇〇部隊の実態を示すまとまった資料として、なお一級の価値を保っている。

ただし、ハバロフスク裁判の被告には、石井機関の全貌を知る中枢の幹部は含まれていない。

石井機関の全体像を把握していたのは、石井や内藤など、陸軍軍医学校防疫研究室の業務に携わっていたごく一部の幹部だけで、七三一部隊など現場の幹部は自分の関係した業務のこと以外はほとんど知らなかった。

このことが、石井機関の全貌と医学界の組織的関与を、戦犯を追及したソ連の目からも隠すことを可能にした。
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