南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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シンガポール虐殺記念碑血債の塔

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/09/25 11:14 投稿番号: [29212 / 41162]
シンガポールの人々から見た日本軍

「観光コースでないマレーシア・シンガポール」という本がある。著者は陸培春(ル・ペイチュン)という(略歴:1947年、クアラルンプールに生まれる。1973年、留学生として来日。東京外国語大学卒業。1978年、シンガポール『星洲日報』(現『聯合早報』)初代東京特派員となり、現在『聯合早報』の在日コラムニスト、駒沢大学マスコミ研究所講師として活躍中。連載コラム『日本漫歩』で第一回ラジオたんぱアジア賞特別賞受賞。83年、90年、マレーシア福聯会ルポルタージュ部門優秀賞受賞。)

この本のなかで、「日本軍に連れ去られた祖父」という一文がある。これはシンガポール華僑虐殺の記憶をつづったものだ。

「幼いころ、母の実家へよく遊びに行った。写真館で撮った楕円形の大きな祖父の写真が飾ってあった。祖父は野菜行商人だったが、ひまな時は自転車でクズ鉄を回収して生計を立てていた。

十数年前、教科書の歴史改さん問題が起きてから、帰省する機会があった。その時、祖父の「顔」をもう一度しっかりと見てみようと思った。そしてその写真を自分のカメラにもおさめて、身辺に置くことにした。唯一の貴重な記念品だからだ。

祖父がその写真を撮ったのは四十代半ばだったという。私もすでに四十を過ぎ、五十歳となった。気持ちがとても複雑になった。

祖父は日本軍に連れて行かれた。そしてそのまま二度と帰ってこなかった。

当時、華僑のリーダーやインテリだけでなく、庶民やヤクザまで日本軍に「敵性分子」だと見なされ、虐殺された。

一家の大黒柱の祖父が連れて行かれたあと、長女である私の母は、病弱の祖母、四人の幼い弟たちとともに残された。生活がとても苦しいので、三番目の弟を人にあずけてしまった。

「天皇の軍隊」が来なかったら、そんなひどい目にはあわなかっただろう。

だが、正直なことを言えば、日本軍の非人道の殺戮に遭遇した私たちは、出来ればそのいやな思い出を自分の脳裏から追放し、未来に向けて楽しく幸せに生きたいと思っていた。肉親や近親の死をいつまでも思っていると、人生が暗くなってしまうどころか、生きていく勇気と気力も萎えてくるからだ。

これが真実なのである。身内を殺された人の恨みは、政府高官が何と弁解しようが、やすやすと消えるものではない。シンガポール市街、ラッフルズ公園の中には、日本軍に虐殺された華僑の人々を弔うための記念碑、血債の塔が建っている。
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