深川唐変木の引用の馬鹿さ加減
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/08/05 06:21 投稿番号: [28708 / 41162]
平成7年5月某有力新聞社発行の雑誌6月号に投稿された。昭和17年4月、普通の歩兵聯隊に応召し、乙幹(幹部候補生、俗に甲幹=中等学校以上の学歴で将校適任候補生
乙幹=同中等学校以上の学歴で下士官適任候補生)になり、翌年の昭和18年10月、新設の特別操縦見習士官(特操)第一期生として大刀洗陸軍飛行学校で操縦教育を受けた後、大刀洗陸軍飛行学校・陸軍航空士官学校の操縦教官となられた方が、題名
「元陸軍航空士官学校操縦教官の手記
特別攻撃隊の追悼
元名古屋大学教授
○○
○○」
を発表されているが、その記述において、一、特攻の痛恨
二、特攻隊の誕生
等他の記述は筆者の個人的考察として論評を差し控えるも、三、出撃の経過、同書227頁の次の著者記述、
『正式の特攻隊になると、直援機(直接援護機)が随行した。その任務は、特攻機を敵艦上空まで誘導し、特攻機を援護して敵迎撃機と交戦し、特攻機の戦果を確認して帰還、報告することである。しかし、その他に、離脱・逃亡しようとする特攻機に対する監視・処罰(撃墜)もあったとは、情けないことである』
−この処罰のために撃墜までした話。−こんな馬鹿げた事実無根の話は絶対にない。
当時、万世特攻基地で吾々攻撃部隊の飛行第66戦隊と共に基地防衛と“直援”に任じた飛行第55戦隊や特攻振武隊の生存者からも聞いたことも無く、また、そのような恰も、旧ソ連軍のゲーペーウや中国軍の督戦隊(当時、中国軍には実際にあった、実際に戦っている部隊を後方で監視・督戦する、もう一つの部隊)か日本軍にもあったような情けない考え方を苟しくも航空士官学校の操縦教官であった人が考えつかれ、それを将来、純真な若者にも影響力のある有名雑誌に書かれているのは残念至極である。
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