Re: なんでもウソですか
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/03/30 01:40 投稿番号: [28378 / 41162]
>年配者は年齢を数え年で言ってましたから、一〜二年の誤差があっても何の不思議も無いでしょう。
いや、そんなことはない。
篠塚は年齢に達していないから対象にならないと自覚していたし、731部隊は篠塚の身分証明書を作っていた。
身分証明書には生年月日が記載されているだろ?
他にもおかしな話ばかりだ。
先輩が15歳の少年に対して「おまえも一緒に志願しろ。」なんて言うか?
`,、('∀`) '`,、
731部隊の試験が○×式の簡単なテストだったってよ。
( ´∀`)アハハ
それで、篠塚は殆ど全部無意識のうちに、○×をつけて合格になったそうだ。
;`;:゛;`(;゜;ж;゜; )ブッ♪
その数ヵ月後には、千葉からハルビンに行って、(おそらく生年月日が記載された)身分証明書を渡されて、入り口に、「関東司令官の許可なき者は、何人といえども立ち入りを禁ず。」と書かれた縦看板があり周りは鉄条網を張り巡らせて、壕が掘られてある吉林街分室に連れて行かれたってさ。
∧_∧
( ・∀・) ドキドキ…
( ∪ ∪
と__)__)
大阪弁護士9条の会
2005年4月6日 @中之島公会堂
■憲法講演2 篠塚良雄 元731部隊少年兵
731部隊志願の理由
(一部抜粋)
私は、1939年ですが、実業学校に在学しておりました。私の家は百姓です。母親は、百姓にするということで、実業学校の農業科に在学しておったわけです。この時に731部隊、当時石井部隊と言っておりました、その航空班の班長、これは千葉の出身です。彼が隊員の募集に来たわけです。
この千葉近辺の当時の中学校、農学校、実業学校、これらの学校に、隊員の募集に来たわけです。
私自身は、まだ年齢にも達していませんし、「別に対象にはならないだろう」、このように思っておりました。
しかし、私の先輩、卒業間近の先輩が二人いました。常に世話になっている人たちでした。彼たちから、「俺たちは石井部隊に志願したいのだ。おまえも一緒に志願しろ。」こういうことでした。とにかく試験だけは受けてみろ。こういうことで、試験は県庁でありました。○×式の簡単なテストでしたので、○×だとほとんど全部無意識のうちに、つけてしまったようです。
その年の4月1日、軍医学校防疫研究室に来いという通知がありました。私はそれまで、親にもそのことは話しておりませんでした。しかし、当時の軍からの通知となれば、親も拒否できなかったわけです。そのようなことから、軍医学校防疫研究室に4月1日に入りました。
そこで初めて、石井四郎部隊長に会いました。当時彼は大佐でした。一見、軍医らしからぬと言いますか、言わば、軍の将校とも思えないようないでたちでした。だぶだぶな服を着て、きちんとした長靴〜チョーカーではなしに、これもだぶついている。全てが何となくだぶついているような感じです。顎髭だけは生やしている。初対面の時に言ったのは、「おまえたちは少年隊だ。勉強すれば大学にも入れるかも分からない。とにかく、上官の言うことを聞いて勉強することだ。行く時期については、後から指示する。」このようなことでありました。
それと同時に、周り見回して、「顔色の悪いのがいる。身体検査をもう一回やり直せ。」このようなことを言いました。
このようなことから、一風変わった軍医だと、このような印象しか受けませんでした。
ハルビンに行ったのは、39年の5月12日でした。ハルビンに着いて、まず吉林街分室というところに連れていかれました。いまこの分室というのは、吉林街にハルビンにあります。
建物もそのままになっています。当時はロシア風の建物です。りっぱな建物という印象でした。
そこにまず行きました。身分証明書が渡されました。既に身分証明書ができていました。
それを渡されて、部隊のバスに乗って、平房に行ったわけです。ヘイボウの部隊に着いたら、何かちょっと感じが違う。軍医学校防疫研究室の印象とはだいぶん違う。こういった印象をまず受けました。
入り口に、「関東司令官の許可なき者は、何人といえども立ち入りを禁ず。」あまり大きくない縦看板が一つあるだけでした。周りは鉄条網を張り巡らせて、壕が掘られてありました。
いや、そんなことはない。
篠塚は年齢に達していないから対象にならないと自覚していたし、731部隊は篠塚の身分証明書を作っていた。
身分証明書には生年月日が記載されているだろ?
他にもおかしな話ばかりだ。
先輩が15歳の少年に対して「おまえも一緒に志願しろ。」なんて言うか?
`,、('∀`) '`,、
731部隊の試験が○×式の簡単なテストだったってよ。
( ´∀`)アハハ
それで、篠塚は殆ど全部無意識のうちに、○×をつけて合格になったそうだ。
;`;:゛;`(;゜;ж;゜; )ブッ♪
その数ヵ月後には、千葉からハルビンに行って、(おそらく生年月日が記載された)身分証明書を渡されて、入り口に、「関東司令官の許可なき者は、何人といえども立ち入りを禁ず。」と書かれた縦看板があり周りは鉄条網を張り巡らせて、壕が掘られてある吉林街分室に連れて行かれたってさ。
∧_∧
( ・∀・) ドキドキ…
( ∪ ∪
と__)__)
大阪弁護士9条の会
2005年4月6日 @中之島公会堂
■憲法講演2 篠塚良雄 元731部隊少年兵
731部隊志願の理由
(一部抜粋)
私は、1939年ですが、実業学校に在学しておりました。私の家は百姓です。母親は、百姓にするということで、実業学校の農業科に在学しておったわけです。この時に731部隊、当時石井部隊と言っておりました、その航空班の班長、これは千葉の出身です。彼が隊員の募集に来たわけです。
この千葉近辺の当時の中学校、農学校、実業学校、これらの学校に、隊員の募集に来たわけです。
私自身は、まだ年齢にも達していませんし、「別に対象にはならないだろう」、このように思っておりました。
しかし、私の先輩、卒業間近の先輩が二人いました。常に世話になっている人たちでした。彼たちから、「俺たちは石井部隊に志願したいのだ。おまえも一緒に志願しろ。」こういうことでした。とにかく試験だけは受けてみろ。こういうことで、試験は県庁でありました。○×式の簡単なテストでしたので、○×だとほとんど全部無意識のうちに、つけてしまったようです。
その年の4月1日、軍医学校防疫研究室に来いという通知がありました。私はそれまで、親にもそのことは話しておりませんでした。しかし、当時の軍からの通知となれば、親も拒否できなかったわけです。そのようなことから、軍医学校防疫研究室に4月1日に入りました。
そこで初めて、石井四郎部隊長に会いました。当時彼は大佐でした。一見、軍医らしからぬと言いますか、言わば、軍の将校とも思えないようないでたちでした。だぶだぶな服を着て、きちんとした長靴〜チョーカーではなしに、これもだぶついている。全てが何となくだぶついているような感じです。顎髭だけは生やしている。初対面の時に言ったのは、「おまえたちは少年隊だ。勉強すれば大学にも入れるかも分からない。とにかく、上官の言うことを聞いて勉強することだ。行く時期については、後から指示する。」このようなことでありました。
それと同時に、周り見回して、「顔色の悪いのがいる。身体検査をもう一回やり直せ。」このようなことを言いました。
このようなことから、一風変わった軍医だと、このような印象しか受けませんでした。
ハルビンに行ったのは、39年の5月12日でした。ハルビンに着いて、まず吉林街分室というところに連れていかれました。いまこの分室というのは、吉林街にハルビンにあります。
建物もそのままになっています。当時はロシア風の建物です。りっぱな建物という印象でした。
そこにまず行きました。身分証明書が渡されました。既に身分証明書ができていました。
それを渡されて、部隊のバスに乗って、平房に行ったわけです。ヘイボウの部隊に着いたら、何かちょっと感じが違う。軍医学校防疫研究室の印象とはだいぶん違う。こういった印象をまず受けました。
入り口に、「関東司令官の許可なき者は、何人といえども立ち入りを禁ず。」あまり大きくない縦看板が一つあるだけでした。周りは鉄条網を張り巡らせて、壕が掘られてありました。
これは メッセージ 28324 (fukagawatohei さん)への返信です.